糸井さんと羽生さん⑦ ~環境と創造~
ほぼ日さんでの糸井重里さんと羽生結弦選手の対談、Day7。
フィギュアスケートの過酷さに続いて、
練習環境の話題となる。
フィギュアスケートって、練習しようにもまず、
「氷がないとはじまらない」というのは、
なかなかたいへんなことですよね。(糸井さん)
あー、これもまた、言われてみればそうなんだけど、ほとんど意識したことなかったなぁ。糸井さんの言葉はいつも、見えていないけど大切なところに光を当ててくれる。
想像の翼を広げ、氷山の水面下までやさしく理解してくれる大人の存在は、
若者にとって安心感そのものだ。
そして羽生選手の「言葉」にも唸った。
修練ができる状況を整えづらい。(羽生さん)
アスリートやパフォーマーはふつう、練習、稽古、トレーニング、リハ(リハーサル)などの言葉を使う。
だが羽生選手は、修練という言葉を使っている。
言葉は「とらえ方」でもある。
どう言葉でとらえるかによって、意味も、行動も、真剣さも、過程も、辿り着く場所まで変わってくるわけだが、羽生選手の言葉の選択はその好例かもしれない。修練という言葉が似合うし、言葉の背景にある説得力が半端ない。
完全に集中しきった時の彼の表情は時に「戦士」を思わせることがある。
「行く手を邪魔しようものなら、一刀両断されるんじゃないか?」そんな迫力に満ちているが、その理由がわかった気がする。
空間的にも、時間的にも、決して恵まれているとはいえない日本の練習環境。あの羽生選手でさえ、ずっと不利な環境で修練に向かい続けてきた。伝わってくるのは、現場のリアリティだ。
おふたりのやりとりを読みながら、
僕が想い出したのは伊藤みどり選手だった。
日本人初のフィギュアスケートでのオリンピック・メダリスト。「最も高得点を取ったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載され、「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」と称されるレジェンドだ。
伊藤みどり選手は、野球の野茂英雄選手、サッカーの三浦知良選手のように「日本人でもやれるんだ」と人々の認識を変えてくれた重要人物だと思う。その影響はスポーツ界を軽々と超えていた。当時は小学生も「トリプルアクセル」という言葉を知っていて、ピョンピョン飛んだりしてたくらいだ。
そんな伊藤みどりさんのジャンプの高さは「日本の練習環境に要因があった」という話を聞いたことがある。数少ないスケートリンクが混雑してしまうから「上に飛ぶしかなかった」らしいのだ。
環境を逆手にとって、世界のジャンプを具現化したというわけだ。
環境は変えていかなければならない。
だが選手寿命は案外短い。
環境が変わるのをゆっくり待つわけにはいかない。
そんなジレンマの中、
ビハインドを武器に変えた伊藤みどり選手の創造的な技術。
そして
良質な学習を
どれだけ短い、限られた時間のなかでやるか。(羽生さん)
羽生選手の徹底した思考と、言葉による方向性の顕在化。
これらは、ジャンルや立場を問わず大いに参考となるだろう。
この流れで、僕の経験の話で恐縮だけど・・・
「研修医をやりながら極真カラテの全日本ウェイト制に出場する」
という風変わりな?目標にかけていた20代中盤の僕は、「時間の確保」が最大のハードルだった。カラテは対人競技なのに、対人練習の時間がなかなかとれない。
そこである時、ふと思いついたのが「すれ違いハイキック」だった。
都会ですれ違う通行人とベストな距離、ベストな角度、ベストなタイミングの瞬間、脳内でハイキックを蹴るイメージを本気でする。
江戸川橋駅、永田町駅、有楽町駅、渋谷駅・・・・・
もの凄い数の人が、不用意に僕の制空圏に入ってくる。そのギリギリの瞬間を逃さないよう、僕は脳内でハイキックを繰り出す。ほとんどの人たちは気づいてもいなかったが、何かを感じたのだろう、ビクッと反応する人がごくたまに混じった。
やっていくうちに面白いことが起きた。
「あ、いま、1センチ外れた」
「蹴りのスタートが早すぎた」
「この身長の相手なら、コースをアレンジしたほうがいい」
とイメージの中で自分で修正するようになったのだ。
対人の不足を補うために始めた練習だが、
これを初めてから対人練習の意味が変わった。
運動イメージは、ひとりでつくっておく。
道場での対人練習は、運動イメージと、実際のズレを補正する時間になった。実験と修正の回数を積み上げた上で、人と対する。これで練習の質は劇的に変わり、TOKIOですれ違った無数の皆さんのおかげもあって、結果も伴うようになった。
「医者は医者だけに専念すべきだ」
まだそんな空気も支配的な時代で、試合場の外での戦いのほうがハードだった当時の僕は、「貴重な時間の質を高めるには、それ以外の時間をどう過ごすかが大切である」、そんな自分なりの結論を得ることができた。
たくさんやれないがゆえに、
アイスの上で滑る1回ずつの練習を
大事にやらなきゃいけないととらえている。(糸井さん)
糸井さんがおっしゃたようなことを、僕なりの形でやっていたんだんだ!
そう思うと、20年経ってこたえ合わせができたような気がした。
だが、しかし、である。
プレイヤーとしての羽生結弦選手は、運動イメージのつくり方においても、僕の想像の遥かに上を行っていた。
古館伊知郎さんと松岡修三さんの対談の中で、怪我をしたときの羽生選手の話が出てくる。
なんと羽生選手は
自分のベストの時の動きを脳内でトリミングし、
しかもそれを編集してつなぎ合わせて、脳内で再生して運動イメージを構築していたことが明かされる。
これには開いた口が塞がらなかった。
天才は唖然とさせる。
「そこまでやるか!」の次元である。
実は、羽生選手が実行された内容は、きちんと医学的な背景がある。
身体を動かさないで、強く何かの運動イメージを想起すると、「動きたいけどブレーキをかける」状態になる。
その時、脳の一次運動野とよばれる「筋肉に直接指令を出す部位」の活性化は(ブレーキゆえに)抑制される。だが、それ以外の運動の遂行に関するエリアは逆に強く活性化するのだ。
だから「身体を動かさない練習」を繰り返しておいて、そのあとに「まるでブレーキを外すように実際に身体を動かす」と、運動の質はあきらかに上がる、というわけだ。
スポーツには多少の怪我はつきものだが、怪我した時の過ごし方はこれまであまり追求されてこなかった。試合が近いため、焦って怪我を悪化させてしまい、せっかくの才能が潰れてしまうケースが少なくない。
羽生選手の運動イメージのつくり方は、スポーツ界のみならず、身体を使うあらゆるジャンルの新しいスタンダードとなっていくだろう。
そういうことって誰も教えてくれない(羽生さん)
と語っている羽生選手自身が、身をもって教えてくれている。
スポーツやパフォーマンスに関わるドクターとしても、心から感謝である。
それにしても・・・・
創造する人としてのおふたりのエネルギーは無尽蔵だ。
そういうのって、きりがなくて、
そこがたのしいんですよね。(糸井さん)
消えてしまったとしても、
新たにまたつくり出さなきゃいけない。(羽生さん)
決まりきった授業では決して学べないことを、
僕たちは、ほぼ日さんで学ぶことができる。
ネット上にはひとりの人間が到底処理できないおびただしい量の情報が毎日毎日加わっていくけれど(無責任で、ネガティヴなものも多いけれど)、この対談のような生きるヒントに満ちた創造を次世代に伝えていきたい、と感じた。心ある皆さんと共に。
PS.創造には創造を。