糸井さんと羽生さん④ ~名刀と妖刀~
ほぼ日さんでの糸井重里さんと羽生結弦選手の対談、Day4。
「羽生結弦物語」っていうのが仮にあったとしたら、
少年のころはミラーニューロンの強さで
憧れているものに近づいていって
技術がどんどん磨かれていきますよね。
そのなかで、人格はどうなっていくんですか。
きわめて自然な流れから、テーマは「人格」に辿り着く。
これはもう心と心の対話だろう。
糸井さんの包容力、羽生選手の真摯さ、ほぼ日さんというポジティヴな場があってのこと、というのはもはや大前提として。
おふたりの間に感じられる、静かな信頼のようなものが、この対話をより特別なものにしている。それは各方面から絶賛されている要因でもあるだろう。
糸井さんの達人たる所以は、
「人格」という普通ならなかなか話しにくいテーマを、『羽生結弦物語』に置き換えて、つまりいったん外に取り出して、羽生選手が自らのヒストリーを客観視して語りやすい状況をつくっていることだ。
たとえばなんですけど、
『MOTHER2』で言ったら‥‥。(羽生さん)
この瞬間、羽生選手の聡明さがグワンと前に出てくる。
自らの人格の変遷を、自分を材料に、つまり羽生結弦選手として主体的に語るのではなく(それも容易にできたはずだ)、
糸井さんの世界に触れ影響を受けてきた羽生少年として、MOTHER2になぞらえて、引用的に語っている。これは羽生結弦さんが、羽生結弦選手を客観的に俯瞰してきたからできることだろう。
そして話は、強さに関する「名刀と妖刀」に及んでいく。
強さについてずっと試行錯誤(いや悪戦苦闘、七転八倒かな)している僕としては、この話を簡単に読み進めることができなかった。
いつの間にか妖刀側に振れてしまう(ダークサイドに落ちる)、
そのような経験を想い出していたからだ。
僕の場合はカラテだったけど、競技において「結果を出す」ことはやはり至上命題だ。
結果が出てない人が何を言っても、誰も聞いてくれない。負け続けていては競技の継続も出来なくなる。だから「結果」というひとつの尺度をひたすら求めることになる。
いろんなことを我慢して、優勝するために練習したり、準備したり、食事制限をしたりするわけだけど、
「強くなれば、結果を出せれば、全てが解決する」
というある種の思い込みと並走する時期があった。僕の場合、そのように思い込まないとやってられなかったのかも知れない。
自己の存在証明としてカラテを歪めてしまった僕の妖刀は、若き名刀に粉砕された。
「二重作さん、必ず決勝で会いましょう!僕、それまで負けないですから」と大きな心に勝てるはずがなかった。
強さや技術だけじゃなく、
人としても変化していかなきゃいけない(糸井さん)
なんか、きっと強さだけじゃ、
人は感動できないんだなって(羽生さん)
これらは、名刀と妖刀の境界について、実践の中で生まれた言葉。
しかも僕には想像もつかないような、
高くて険しくて足場も小さな場所で掴まれた言葉。
何かの技や力、機会や権利を得ようとする時に、
それを名刀にするか、妖刀にするか。
その判断基準をもって、注意深く諫めようと思う。
そして自分自身の物語に置き換え、実践や経験と共に「あああ、そうだなぁ」と自分のフィールドで実感することが、名刀への道なのかも知れない。
それにしても、おふたりの重なりである『MOTHER2』ってすごい!
ほぼ日さんがGWに主催されている「生活のたのしみ展」に行った時、スペインからきたMOTHERファンに出逢った。そのファンが糸井さんを見かけて感動していた様子を目の当たりにしたんだけど、感動に打ち震える彼の姿が感動的だった。きっと彼もたくさん救われてきたんだろうな。
糸井さんの世界が、これまでも、今も、これからも、いろんな人の中で育っていく。これからもRE PLAYされ続けることだろう。
この対談は
糸井さんが、羽生さんの中の糸井さんに、
羽生さんが、糸井さんの中の羽生さんに、
敬意をもって再会している記録でもあるだろう。それが、この対談で感じられる「静かなる信頼」の正体なのかも知れない。
かつて羽生少年がMOTHER2で何かを体得したように、おふたりの創造であるこの対談もまた、いろんな形で育っていくだろう。