本物のヒーロー
先日、とても悲しいニュースが飛び込んだ。
憧れのサッカー選手であり、友人の工藤壮人くんがこの世を去ってしまった。
まだ32歳だった。
僕の地元は千葉県の柏市で、サッカーを始めたのはもちろん柏レイソルの影響だ。
学生時代、週末に友達と試合会場に行くのがとても楽しみだった。
日立台から実家までの距離はチャリンコで10分くらい。家にいながら試合の結果がわかってしまう。
大きく響く歓声、サポーターたちの歓声によって「あ、今ゴールが入ったな。」とか予想できた。
そして、試合会場から帰るサポーターの表情を見れば一目瞭然だ。
そんな柏レイソルで背番号19を背負ってゴールを虎視眈々と狙っていたのが工藤壮人だ。
(のちに北嶋秀朗さんの付けていた背番号9を引き継いだ。)
僕は彼の常にゴールを目指して全力を尽くす姿に憧れた。その姿が、希望を与えてくれた。
よく行く飲食店の方々が僕と工藤くんを繋げてくれた。憧れの人が友人となった。
僕はそんな工藤くんの姿に、自分もサッカーを諦めたくないと奮起して海外へ飛び込んだ。
そんな僕を彼は同志だと言ってくれた。
環境やレベルが違えどそんなことは関係なく、彼は同じ目線に立って、お互いチャレンジをする仲間なんだと言ってくれた。
僕は彼がチームを移籍するたびに、試合へ足を運んだ。それまでアウェイのゲームなんて行ったこともほとんどなかったけれど、工藤くんの試合を観るのはとても楽しみで、飛行機に乗って広島にも足を運んだ。
山口に在籍している際はタイのシーラチャーへも足を運んだ。タイトル写真はそのときのものだ。
そんな彼がサンフレッチェ広島に在籍している時の話だ。なかなかチームで結果を出すことができなかった。
そして、僕にLINEを送ってくれた。
「シーズン中はなかなかチームのためになれなかったけれど、サッカー選手として世の中の人のためにできることがあればしたいと思って…インドに絵本を広める活動に参加してこようと思います。海外で活動しているタクちゃん(僕のこと)に聞きたいことがあって…海外の子供たちはどんなものを持っていったら喜んでくれるかな?」
そんな感じで質問をされた。
僕は工藤くんが現地に行くこと自体が子供達にとって特別なものになると思うと答えたと思う。
そして、オフシーズンを活用してインドでの活動を終えたらまた彼はサッカー選手としてゴールを決めるための日々に戻った。
そのアクションに対して、本人の口から語られることも、メディアに報じられることもなかった。
僕はさまざまなサッカーを通した社会貢献活動を行なっている。
先輩方がそこに着眼してくれて、それはタクヤにしかできないことであり、差別化されることだと思うよと教えてくれた。
そして、活動を継続するためには仲間の輪を広げることがとても大切だと思ったから毎回活動の報告はして行かなければと思うようになった。
評価されるために行う事ではないし、自分の身近にある困難な状況やチャンスを平等に得られない子供達に機会を提供する事が大切だと思っていたので、
それを円滑に、継続的に行うために取り組んでいた。
しかし、工藤くんの口からそのアクションに関して語られることは一切なかった。
そして彼はこの世を去ってしまった。
僕は彼を本物のヒーローだと思った。
きっと、彼はいかなる時も自分にできることに必死に実直に取り組んでいたからこそ多くの人に愛されている。
全てのチームから彼に対してのメッセージが寄せられているのを見れば明らかだ。
僕はそれを聞いたら「まさしくそうだよ!」と言える。
大切な、とてつもなく重要な人が逝ってしまった。
それも突然に。
誰しもが自分たちの人生の終わりを知ることはできない。突然それが訪れる。
だから、毎日を大切に生きよう。
本物のヒーローは最後にそんな事を伝えてくれたのかもしれない。
悔しい。
だけど、命ある僕たちがこれから生きる時間は
誰かが必死に追い求めた時間であり、
生きたかった時間であることを忘れてはいけない。