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自故日記(38) 人生とは尽生

人生にはどんな意味があるのか?

生きるということはどんな意味があるのか?

という問いに出会ったことは皆さんもあると思います。

僕は人生というのはもともと空っぽのコップのようなモノに、それぞれの彩りを加えていくことだと思う。

経験や富であったり、それは実に多彩かつ多様であると思う。

コップには限界量があるため、それを注ぎ続けるだけではいつか溢れてしまう。

それが人生で言えば「死」に値するのかもしれない。

じゃあこの人生を長く生きるためにはどうするのかというと、

コップに注がれたもの、つまり自分が得たものをときに人にも分け与えていく。

その対象となるのは友達かもしれないし、恋人や家族かもしれない。

はたまた見ず知らずの海外の誰かであるかもしれない。

自分のコップに注がれたものが減っていくだけならきっと寂しさや悲しさ、虚しさに苛まれるかもしれない。ただ、喪失していくだけだからだ。

でも、自分のコップの中身が減っていく代わりに、周囲の人たちのコップに自分の蓄えた、大事なものが分け与えられていき、彼らには笑顔が浮かぶ。

そうなると、自分のコップの中身が減ろうが、嬉しいという感情が湧くのではないだろうか。

自分を満たすことだけが幸せではなく、ときに周囲のために行動することが喜びにつながる。

まさにそれは尽生(じんせい)というものなのではないだろうか。

そして、生きていなければ周囲に尽くすことだってできないし、その先の彼らの表情や感情に触れることもできない。

生きる中で人のために尽くすことこそが人生であり、尽生なのではないかと思った。

僕も怪我をしたことだけを切り取れば別に何も思わないかもしれない。

怪我をしたことで出来なることがあるからこそ、悲しみを感じる。

怪我をしたことで何かを失うかもしれないからこそ、恐怖心を抱く。

怪我をしたことを心配してくれる人がいるからこそ、頑張ろうという希望を抱く。

それこそ、尽生を歩んできたからこそ感じられることなのではないだろうか。

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