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短編小説の文字数制限について考えたこと。

僕は昔から趣味で小説を書いていた。「小説」と聞けば誰もが100ページを越えるくらいの長い物語を想像するだろう。僕も例外ではなく、僕にとっての「小説」はいつも「長編小説」のことだった。

これまで僕が読んできた小説も、全て100ページを超えるボリュームだったから、「小説とはそういうものだ」と思い込んでしまうのも無理はないだろう。

だがある時、「短編小説」というものに出会った。それは1万字前後で完結する物語がいくつか集められた文庫で、本屋で長編小説と間違えて買ってしまったものだった。
実際に読んでみて、そのあまりの短さに驚いた。いつも読んでいた小説に比べるとボリュームが少なく、なんだか薄っぺらく思えてしまう。

「なんだか短いし、満足感が足りないな……」

そんなことを思いながら最初の物語を読み終わり、そして次の物語を読む。
そして、次へ、次へ。

気付いたら、僕はその短編小説集を読み終えていた。

一つ一つの物語は短いけれど、なぜかどの物語もしっかり印象に残っている。短いからこそサクッと読めるし、情報量が少ないからこそ、その物語の作中で語られていない部分を自分なりに想像するのも面白かった。

それに、長編小説を読むのと同じくらいの時間で、5つか6つくらいの物語を楽しむことができる。読み終わってみると、なんだかそれがコスパの良い読み物に思えてきた。

次第に、僕は短編小説にハマっていった。

それに従って、僕が趣味で書いていた小説の文量はどんどん少なくなっていき、やがて1万字前後の物語を書くようになった。長編小説よりも気軽に書けるし、その日のうちに完結部分まで書き切れるのも気持ちが良かった。


そんなわけで僕はそれから短編小説を書き続けるようになり、そのうち1つの作品を「新人賞」に応募することにした。

「新人賞」などの文学賞では、応募する作品の文字数にルールが設けられている。
長編小説の場合は「10万字以上」のように文字数の最低ラインを決めていることが多い。「10万字以上」だから20万字の作品でもOKだし、極端な話、100万字越えの大作でも良い。

しかし、「短編小説」の場合はそのルールが少し違う。
短編小説には「〇〇字以上、〇〇字以内」のように下限と上限が決められていることが多い。文字数の上限も決めておかないと「長編小説」を応募してくる人もいるかもしれないから、確かにそのルールは必要だと思う。

たが、自分の作品をこのルールに当てはめるのが、かなり難しい。


僕が以前書いた作品で、自分を偽って演技し続ける主人公の姿を描いた短編小説があった。完成時の文字数は2万字だ。

それを新人賞に応募しようとしたのだが、その新人賞では、ルール上あと5000字程度を削らなければならなかった。
2万字から5000字を削るということは、作品のボリュームを3/4にするということだ。つまり、25%カット。

スーパーの惣菜の割引率なら嬉しい数字だが、自分の作品となれば話は別だ。苦心して書き上げた作品を25%分も減らさなければいけない。これはかなり心が痛む作業だ。

これを仮に「彫刻家」に置き換えるのなら、毎日彫り続けて美しい彫刻を完成させたのに、審査員に「腕は要らないね」と言われ、泣く泣くその彫刻の両腕をへし折るようなものだ。

もちろん、自分の作った作品の文字数と合わない文学賞には応募しない、というのが一番良いのだろう。僕にとってその作品には2万字が必要だったわけで、それを応募のために削るのは無意味な行為だと言えるだろう。

それは分かっているのだが、そう上手くはいかないものだ。

文学賞は毎月いくつか開催されているが、その中で短編小説を募集しているものは極端に数が少ない。それに、それぞれの文学賞で規定の文字数が違うから、自分の作った作品の文字数に合った賞を探すのはかなり大変だ。

小説家をある種アーティストのように捉えるのならば、自分の作品が一番輝ける時を待って応募すれば良いだろう。それまでその作品が日の目を見ることはないが、自分にとって完璧な状態で披露される方がずっと良い、という考えだ。

だが、多くの小説家志望の人たちは、「早く」本を出したいのだ。

中には小説家を目指してもう何年も努力し続けている人もいるわけで、一番良い機会を待つようなのんびりとしたスタンスでは居られないのだ。
とにかく、応募できるなら応募する。文字数を調整することになったとしても、目の前にチャンスがあるなら飛びつく。

それが、僕を含めた小説家志望の人たちの大多数の意見だろう。


結局、僕は先述の新人賞に応募するために完成した原稿から文字を減らす作業を進めた。必要と思われるシーンもカットしたり、少し短く編集し直して、なんとか5000字分を減らした。そして、無事に応募できた。

果たしてあのシーンはカットされるべきだったのか?
僕が書いていたあの表現は、本来存在すべきものだったのではないか?

そんな疑問を感じながら、応募をした。

きっと多くの物書きたちはいつもこの文字数の制約に頭を悩まされているはずだ。
エッセイだって、長編小説だって、「作品をより良くする」以外の理由で文字数を削らなきゃいけない時があるだろう。

なんだかそれは間違っているようでもあるし、正しいことのようでもある。

ただ、文字数制限のために消えていったあのシーンたちを思い出すと、なんだか悲しくなってしまう。


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