図々しい猫
近所の商店街には、よく野良猫が現れる。
最初に目撃したのは、僕が東京に引っ越してきた翌月のことだった。
まだ歩き慣れていないその商店街を歩いていた時、猫を見つけた。その猫がいたのは小さなオフィスビルの前だった。そこに我が物顔で寝転がっている。猫らしく丸くなって、なんだが心地良さそうにのんびりと過ごしていた。
白い毛に、所々灰色が混じった猫だ。その猫を見た時「こんな人通りの多い商店街じゃ落ち着かないだろうな」と率直に思った。その商店街は車こそ通らないが、通行人は数多く行き交う。
そんな道の脇で丸くなって心地良さそうにしているその猫が、なんだか面白かった。人の声で賑わう商店街の隅で、一人だけ自分の世界に入り浸っているかのようだった。
街ゆく人はその猫に見慣れているのか、誰もがチラリと猫を見るだけでそのまま歩いて去って行った。唯一、僕の手前を歩いていた女性がその猫に反応して近づいて行った。猫のそばにしゃがんで、その猫をまじまじと観察していた。
この商店街に頻繁に来るわけでは無いのか、それとも僕と同じように最近越してきた人なのか分からなかったが、その猫を物珍しそうに見つめて、やがて撫で始めた。
その猫は随分人に慣れているようで、突然のスキンシップにも動じず、むしろ全く反応をしていなかった。その猫は撫でられたまま、ずっと自分の足をペロペロと舐めていた。
それから、商店街を歩くと大体4回に1回くらいの頻度で、その猫に遭遇するようになった。いつものようにオフィスビルの前で丸くなって寝ていたり、そこから少し離れたところに座り込んでぼーっとしていたりする。
以前見た時は、往来の激しい商店街の道を悠々と横断していた。この時ばかりは商店街の人たちもその勇ましい姿を見つめ、笑顔になっていたのを覚えている。
とにかくこの猫は、今でも商店街に居座り続けている。オフィスビルの前に座り込んでいたり、八百屋の前に寝転がっていたり。まるでこの商店街の全てが自分の縄張りであるかのように振る舞っている。その姿を見て、いつも僕は「図々しい奴だな」と思う。
ただよく考えてみると、彼(もしくは彼女)は僕がこの街に来るより前からこの商店街にいるわけなので、僕の方が新参者ということになる。それならば、彼から見たら僕の方がよっぽど「図々しい」のかもしれない。自分が何年も過ごした快適な場所に突然知らない男が現れたのだ。どちらかと言えば、僕の方が立場が低い気がしてしまう。
少なくとも、僕は他人の私有地で寝転がったり、そのまま足をペロペロと舐めたりはしない。その点では僕の方が常識を弁えているとも言えるが、
商店街を我が物顔で図々しく歩いているのが僕の方なのだろうか。
さて、この商店街にはもう1匹猫がいる。先ほど紹介した猫とほとんど同じ生活圏内に、別の猫が生息しているのだ。その猫は白い毛に栗色のまだら模様が美しい猫で、どうやらその猫も野良猫のようだ。
最初に見た時は、商店街にある八百屋の前に鎮座していた。八百屋の店主はいつものように忙しなく段ボールから野菜を取り出して並べているところだったのだが、その猫は終始その足元に座り込んでいた。ぼーっと、何を考えているかも分からない表情で佇んでいた。
八百屋の店主は特に気にしていないようだったが、その猫は明らかに邪魔な位置に鎮座していた。果たして忙しなく動く人間の足元が快適なのかは分からなかったが、猫は随分のんびりとした雰囲気で過ごしていた。
その猫と先に説明した猫がどういった関係なのか、僕はずっと気になっている。2匹の行動範囲は僕が見ている限りほとんど同じなので、ばったり出くわすこともあり得ると思う。
僕は2匹の行動圏を勝手に「猫ゾーン」と名づけていて、いつも商店街に入ると、「お、そろそろ猫ゾーンだぞ」と心を躍らせる。「猫ゾーン」では2匹のうちのいずれかと出会える可能性があるから、猫好きな僕は楽しくなってしまう。
ただ、これまで1年以上その商店街に通ってきたが、2匹を同時に見かけたことはない。おそらく、2匹は微妙な距離感を保って生活をしているのだろう。同じ家に住んでいるのに一切会話をしない夫婦のように、お互いにしか分からない微妙な距離があるのかもしれない。同じ場所に住んでいることは知っているけど、ほとんど他人のように扱う、といった具合だろうか。
それは、クラスにいる苦手な生徒と関わらないように生活する感覚に似ているのかもしれない。そのクラスメイトがトイレに行っている時は、ばったり出くわさないようにトイレを我慢する。そのクラスメイトが帰るのを見届けてから、自分は帰る支度をする。そんな感じだろうか。
2匹の猫はお互いに相手の行動を監視しつつ、お互いにとってストレスのない距離感を保っているのだろう。そう考えると、猫は一見自由に見えるけど、現代人のように人間関係のストレスを抱えながら生活をしているのかもしれない。
人間だって自分の場所では無い所に図々しく居座ったりするし、他人と微妙な距離感を保ったりする。人間と猫は同じような悩みとストレスを抱えながら、日々を生きてるのかもしれない。
自由なように見えて、実は不自由。
そんな世界の中で自分の場所を見つけ、そこに図々しく居座る。
人間も猫も、同じようなものかもしれない。
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