Weekly自分_220725-220731_音楽の夏、(いまは)閉じこもりの夏
はじめに
このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は僕個人のWeeklyになっていて、普段から色々な場所に行ったりして感じたことが書いてあったりします。
今週の雑感
この週末はフジロックが配信をやってくれていますね
昨日のコーネリアスが本当に良かったです
「幻の東京2020オリンピック」みたいな感じのニュアンスを受け取ってしまっていて、オンラインで一緒に見ていた友人とダラダラとつど感想を話し合ったりしていました。
ライブの持つ、間接的な時間・空間の共有感がとてもいいなぁと思いました。
今週の「今日のダーリン」を読んで
7月25日
『子どものいろんな「はじめて」につきあうの、最高』
という言葉を拾いました。
子どもという存在は本当にうらやましいです。
なぜなら「はじめて」がたくさんあるからです。
もちろん僕たちにも「はじめて」はまだまだたくさん残されているのですが、日常生活で経験するような「はじめて」はだいたい経験済みであることが多いように感じます。
「はじめて」の行為は本当に刺激的で、一つのはじめてのことを経験するつもりが、なぜか連鎖して色々なことのはじめてをまとめて達成できちゃうときもあります。
もしかすると「はじめて」というのは一歩踏み出した人へのご褒美なのかもしれませんね。
7月26日
『「本部」は、英語では「Headquarters」と訳されるが、実感的には「Home」だという気がする』
『ホームのない人が、たとえばどこかに行っても、帰る場所のないそれは、旅といえるだろうか』
『行くも、帰るも、迷うも、すべて基点があってこそである』
という言葉を拾いました。
古典芸能の「型破り」「型なし」という言葉に通じるなぁと思いながら読んでいました。
型をしっかり学び、型を身体に落とし込んでいるからこそその型を破ることができ、逆にその型がない状態では破る型がないので「型なし」になってしまう。
みたいな感じだったと思います。
それと同じように、ホームがあるから旅をして帰ってくることができるという今回の糸井さんの話はすごく真っ当に感じました。
帰る場所がなかったり、帰る目的地がない旅人は果たして旅人なのであろうか?という本質的な問いを投げかけているような気がしています。
僕は流行病のおかげで今日からしばらく自宅での蟄居生活が始まります。
ひとまずはゆっくり寝ようと思います。
7月27日
『まったく見栄をはらなくなるなんてことは、人間には、ありえないんじゃないかと思う』
『どう見てほしいか、というところで、人は、こってりと、あるいはさりげなさそうに、じぶんなりの見栄を張っている』
『「こういうふうに思われるのはいやだなぁ」という受け身的な見栄はなかなか消えにくいのではないか』
という言葉を拾いました。
「誰からどう見られても構わない」と思っている時点で「人からこう見られたい」というものがはっきりしているのかもしれないのかぁと思いました。
僕は、服装に関してのこだわりは特になくて、一年中Tシャツにスニーカーみたいなラフな格好で生活しています。
さすがにそろそろおじさんになってくる年齢なので、いつまでこの格好でいられるのかわからなくなってきてるので、色々な服装を試してみてしっくりくるものを探してみようかなぁと思います。
そういえば、長いこと人に向き合う仕事をしていて気づいたことがあるのですが、その人の見た目には「どう見られたくないか?」が現れているように思います。
例えばブランドもので身を固めた人は自分自身の評価が高いか、逆に低いためにあえて武装しているような人が多かったり、周囲に威圧的な態度を取る人はあんがいパーソナルスペースに入られるのを嫌がったりしたりします。
そう考えてみると、あんがい人というものは見た目に出てくるのだろうなぁと思います。
7月28日
『昔から「粋の構造」だとか、「わびさび」だとか、独特の価値観について考えてきた人は多いが、「キレ」の研究というものはあるのだろうか』
『「負けてもいいや」と思っているチームが勝つのは、ちょっとありそうもない』
という言葉を拾いました。
日本のビールは、菜っ葉の煮浸しから麻婆豆腐みたいなとてつもない広さのメニューをカバーできるように設計されているような気がしています。
なので、ビールでよく見る「キレ」というのは味の残らなさを表現する言葉のような気がします。
芸事の「キレ」みたいなものは、しばしばメリハリであったり、演技の終端がキレイな様を差しそうで、それもやはりある意味では味の残らなさみたいなものを指しているように思います。
そうやって考えてみると、日本的な「キレ」の概念は味だったり演技のような意図のある何かの残らなさみたいなものを指していそうだなぁと思ったりします。
海外の「キレ」はどうなんでしょうね?
7月29日
『「困ったとき(はじめるとき)の、なんとかさん」という人が仲間にいるというのが、チームのたのしさ』
『フリーだとたいていのことはじぶんでやらなきゃいけないのである種のまちがった「全能感」を持ちやすいのだろう』
『チームって、絶妙な掛け算でできている』
という言葉を拾いました。
そういえば僕は学生時代から社会に出てからも何かしらチームの中にいたことしかないなぁと思いました。
一人で何かをしたことと聞かれると、中学生のときの卓球部でシングルスを選んでいたことくらいです。
あとは、ほとんどチームスポーツをしていたような気がしています。
今の仕事はわりと個人商店な感じの業務が多いのですが、定期的に部署全体で行動するような大きめのクエストみたいなものが発生してくれるので、みんなとあーでもないこーでもないとワイワイガヤガヤする機会に恵まれているように感じます。
「全能感」みたいなもの、持ってみたさはあるのですが、僕が属したことのチームにはことごとくハイパーでパワフルなパイセンたちがいたので、それこそ「まちがった全能感」なんて持ってしまった日にはけちょんけちょんに言い負かされてしまっていたと思います。
だからこそ変に道を外さずにまっすぐノビノビと大人になれたのかなぁと思います。
7月30日
『味がよければよいに越したことはないのだろうが、なんか、もっとぜんぜんちがうところで、ぼくらは「また行こう」という店を決めていたりする』
『世の中の価値観はもっと人と人の間の「よくわからないけどいい」に大いに左右されている』
『グルメとか美食とか、ある時代の流行現象なのではないか』
という言葉を拾いました。
僕は食べることがすごく好きなのですが、何が好きかを改めて考えてみたところ「何を食べているかを知ることが好き」なような気がしています。
以前読んだ梅棹忠夫さんの「情報の文明学」という本に、現代のだいたいのものは情報の領域の話である、みたいなことが書いてあったのを思い出し、最近のグルメブームというか食べ歩きは本当にそうだなぁと思いました。
インターネットのおかげで情報を収集して発信することのコストがものすごく低くなった結果、金額感の手ごろな飲食物(ラーメン、カレー、カフェ)の情報を集めることに楽しさと多少なりのインセンティブが発生したと考えるととても興味深いなぁと思ったりします。
僕はおしゃべりなのでお気に入りのお店などをすぐ教えてしまうのですが、最近、気軽に教えられない一見さんお断りのお店に出会うことが増えてきていて「あっ、パッと入れないかもだ…」ってなったりします。
7月31日
『バレエはとても豪華なミュージカルだなぁと思った』
『バレエはかかとを着けないことが多く、重力から自由になっているような動き』
『何歳になっても、はじめてのことっていいものだ』
という言葉を拾いました。
僕は昨日からホテルで療養をしています。
僕自身の症状は安定していてもはや今は熱もない感じなのですが、自宅での隔離がなかなかに難しい状況で、もし万が一家族に拡がってしまった場合どうしようもないことになってしまう可能性があることを保健所の人に伝えたら入れてもらえることになりました。
療養中は、まかりなりにも悪いものを持ってしまっている人なわけですから食事を取りに行ったり、ティッシュペーパーがなくなってしまった時くらいしか部屋の外には出ません。
もっと退屈するのかなぁと思っていたら案外そんなこともなく、また幸いにも部屋の窓が大きくて日光がしっかり入ってくれるので気も紛れるので今のところはとても快適に過ごせています。
まだもう少しの間はホテルでの療養生活になるみたいなのですが、どんな感じの生活になるか楽しみです。
これが最近の僕にとっての「はじめてのこと」でした。
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