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コミュニケーションをクルマに喩える

「コミュニケーションをクルマに喩えるとわかりやすくなる」 という言葉に感心しました。

たしかに、一人でものすごいスピードで走っている車には近づこうとは思いませんし、どこに向かいたいかわからない車に近づこうとはしません。

そういえば、こないだセザー・ヒダルゴさんの『情報と秩序』という本を読んだのですが、それに「コミュニケーションとは情報パケットの交換である」みたいなことが書かれていたことを思い出したりしました。
「交換」という行為は誰かしら何かしら相手がいないと成立しません。
そして、だいたいの存在は自分の身の回りのあるものだけでいつまでも存在できるようになっていなかったりしていて、「交換」が必須になっているように思うので、その「交換」ができないとなると大変なことになってしまったりするように思います。

目的が一緒だったりすると、途中のドライブスルーで軽く話したりもするだろうし、どこに行くかわかっていればなんとなく相手の行き先を想像して気を使ってあげることもできたりします。

もしかするとそれを含めた「わかりやすさ」みたいなものが大事だったりするのかもしれませんね。

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。