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B2BソフトウェアスタートアップのM&A戦略:考慮したい5つの視点

この1~2年で投資支援先含むB2Bソフトウェアスタートアップと成長戦略の一つとしてM&Aについて議論することが増えました。
スタートアップがM&A?と思われるかもしれませんが、コンパウンドスタートアップという概念(戦略)の浸透により、M&Aも視野にマルチプロダクト化を加速させたい会社が増えたからかもしれません。
M&Aは成長戦略の一つです。一方で、M&Aにはプロダクト・組織の統合が進まない上手くいかないリスクがあります。プロダクト間の相乗効果がないM&Aは企業の生産性を低下させる可能性さえあります。
今回は、M&Aを視野に入れるB2Bソフトウェアスタートアップが独自のM&A戦略を策定する際に考慮しておきたいポイントをまとめてみました。

自己紹介

Salesforce Ventures(セールスフォース・ベンチャーズ)でSaaSを中心にB2Bソフトウェア領域でスタートアップへの投資支援をしている細村です。前々職の総合商社や前職のCVCでは、現場で子会社のM&A・PMIや、売却を推進した経験もあります。

今さらですが、思い立ってNoteを始めることにしました。日々の学びを個人の考えとしてアウトプットすることで、周囲の方々に何らかの参考になれば嬉しいです(投資支援先にはその学びをより深くお伝えします)。

あわせて、X(twitter)もちょこちょこ始めましたので、ぜひフォローいただけますと幸いです。

1. はじめに

冒頭にコンパウンドスタートアップ戦略やマルチプロダクト化を急ぐスタートアップについて触れましたが、この背景にはSaaSを中心としたB2Bソフトウェア・クラウドサービスが増え続けていることが関連しています。

1)アンバンドリングからバンドリング?

ソフトウェアベンダー間の競争が激化したことで、シングルプロダクトでの差別化が難しいスタートアップがプロダクトの複合化を急いでいると考えられます。B2Bソフトウェア市場でオンプレミスからクラウド化への移行が進む中で、Horizontal・Vertical問わず各ユースケースに個別最適化された新しいソフトウェアが隆盛しています。コンパウンドスタート戦略は、個別最適化されすぎたプロダクトをデータ軸で隣接領域のプロダクトまでリパッケージしてシームレスな体験を顧客に提供しようとする動きです。これは、新しい動きではなく、あらゆる業界で歴史的に繰り返されてきたバンドリング・アンバンドリングを繰り返しながら進化する揺らぎの途中点と言えるかもしれません。

2)B2Bソフトウェアの増加

Statistaによれば、2022年の全世界における一企業あたりの平均SaaS利用数は130種類(2020年は80種類)、うち従業員1,000人以上の大企業あたりの平均SaaS利用数は364種類(2020年は254種類)でした。
日本については、スマートキャンプ社が発表している「SaaS業界レポート2023」で従業員5,0001名以上の会社は80%程度が51個以上のSaaSを利用しているといいます。

3) ソフトウェア企業のM&A動向

グローバルのトレンドですが、Software Equity Groupによる2024 Annual SaaS Reportによると、2023年のソフトウェア企業のM&A件数は前年に次いで過去2番目の多さとなりました。

  • 2023年のソフトウェア企業のM&A件数は、前年比9%減の3,333件。2022年に次いで過去2番目の水準。

  • このうち、SaaS企業のM&A件数は前年比4%減の2,062件。ソフトウェア全体におけるSaaS企業の比率は55%と上昇傾向。

  • SaaS企業のM&AにおけるVertical SaaS企業の比率は48%と前年の39%から大きく上昇。

  • 2023年のSaaS企業のM&AにおけるEV/TTM Revenueマルチプルの中央値は3.8x(2020年:5.4x、2021年:6.4x、2022年:5.2x)。

2023年は金利上昇を背景とした景気調整局面で多くのテック企業が人員削減を行いました。一方で、生成AI技術とその商用アプリケーションが急速に進歩した年でもありました。その結果、SaaSのM&A数は大きな影響を受けておらず、クラウド・AIは引き続き多くの企業がその最新技術に注目する領域です。

2. いつからM&Aを意識するか

もちろんプロダクトや業界によって様々ですが、私の知る限り、日本のB2BソフトウェアスタートアップはARR10億円前後から次のプロダクトを展開するケースが多いように思います。シングルプロダクトでProduct Market Fitを果たし、注力セグメントでマーケティング・セールス活動を加速させ、手応えを掴む頃です。特定の業界に特化するVertical SaaS企業は、一定のマーケットシェアを獲得する頃とも言えるでしょう。
この頃から、次の資金調達とあわせてM&Aという選択肢が経営者の頭の片隅でちらつき始めるのではないでしょうか。

尚、創業時から特定のデータを軸に相乗効果のある複数プロダクトを同時に提供するコンパウンドスタートアップ戦略は、経験豊富な経営陣、そして資金力とエンジニアリングリソースを持てるスタートアップのみが実行できるものです。
多くのスタートアップは、乾坤一擲のシングルプロダクトで新規の顧客を獲得し、その実績をもって資金を含む経営リソースを充実させながら、次のプロダクト展開を行い成長していくのがいまだ王道です。

3. M&A戦略を策定する5つの視点

B2Bソフトウェアスタートアップが独自のM&A戦略(特に潜在的なM&Aターゲット)を策定する初期に考慮しておきたい5つの視点をまとめてみました。これらの視点を通じ、M&AのGoal、「何を買うのか」、潜在的なターゲットについてクリアにしていってもらえればと思います。

1)顧客の視点

はじまりはいつも「カスタマーサクセス(顧客の成功)」です。

  • 既存プロダクトで解決できていない顧客のニーズを満たすプロダクトとは。

  • 既存プロダクトとの相乗効果で顧客の業務効率性・収益性を更に引き上げられるか。

  • 隣接領域で多くのプロダクトやサービスを使い分けている顧客に一気通貫したシームレスな体験を提供できるか。

  • 顧客側でシステム導入・定着・活用がスムースに進むように、どのような支援をできるか。

これらを後述のプロダクトの視点と照らし合わせます。

2)プロダクトの視点

自社のプロダクトロードマップは自社開発する(OrganicGrowth)前提で描かれていると思います。そこに、将来的にM&Aや協業を通じて実現したいプロダクトや機能(Inorganic Growth)を描いておくとM&Aターゲットのイメージが浮かびやすくなるかもしれません。

今後のプロダクト展開とM&Aシナリオを、アンゾフの成長マトリックスをB2Bソフトウェアビジネス用に若干アレンジした図を用いながら、考えてみたいと思います。縦軸が市場、横軸がプロダクト、奥行きが顧客企業あたりの予算規模を表しています。

  • 市場浸透(既存プロダクト x 既存市場)

このフェーズで、基本スタートアップは最初のターゲット市場でProduct Market Fit後にマーケティング・セールス活動を強化し、新規顧客の獲得と単価上昇(Land & Expand)に集中します。

ただ、小中規模の類似企業が多く価格競争が激しい市場においては、競合排除を主目的としたロールアップ型の M&A(小規模事業者を連続的に買収することで 規模の経済性を発揮し企業価値の向上を高める)が議論されることがあります。同じ価値提供者をターゲットとするM&Aは「相手の顧客を買う」ことに主眼が置かれがちですが、後述する自社の生産性への影響もセットで考えたいです。M&A後に、その類似プロダクトを併存させるのか、どちらかプロダクトに統合する場合にもう一方のプロダクト利用顧客は離反しないか、開発・営業部門で人員・体制が重複・余剰にならないか。これらの点も踏まえ、ロールアップ型のM&Aでは「何を買うのか」を精査した上で、取得対象(株式買収する必要があるか)、バリュエーション、スキーム等に留意が必要です。

  • 新市場開拓(既存プロダクト x 新規市場)

M&Aのアイデアに直接結びつくことはないかもしれませんが、このフェーズでプロダクトに求められることは大きく三つぐらいに分けられます。

一つ目は、最もありがちな中小規模企業から大規模企業へ顧客ターゲットを拡大する(逆も然り)ようなケースです。大規模企業から求められがちなセキュリティ要件、柔軟な権限設定、レポーティング等(詳細は以下のリンク)の対応が求めれます。

二つ目は、他の業界にターゲットを拡大するパターンです。金融業界や製造業界は特に業界特有の知識・経験が求められるため、このフェーズで業界特化型の専任チームを置くスタートアップは多いです。業界特化型のしているVertical SaaS企業も多く、業界特性を踏まえたプロダクト開発が求められます。

三つ目は、ZoomやFigmaに代表されるProduct-Led Growth企業はユーザー・コミュニティから企業内における利用にアップセルを行っていきます。そのため、チームで利用できるプロジェクトマネジメント等の機能が求められます。

  • 新製品開拓(新規プロダクト x 既存顧客)

相乗効果の高いプロダクトを顧客に新たに提供することで単価を最大化することができます。既存顧客の同一部署の異なる予算(例:マーケティング部門の広告予算からリサーチ予算へ)、他部署の予算、あるいは各部署の予算を大きく獲得するために、どのようなプロダクト戦略が考えられるのでしょうか。

例えば、顧客のサプライチェーンやバリューチェーンの隣接領域に進出し、その隣接領域で他のプロダクトやサービスを使う顧客に複数領域で一気通貫したシームレスな体験を提供することが考えられます。

・ソフトウェア提供:マーケティング>営業>ライセンス>カスタマーサクセス
・製造業:調達>製造>物流>販売>カスタマーサポート>アフターサービス
・小売業:商品企画>仕入>店舗運営>集客>販売>カスタマーサポート
・サービス業:事業企画>営業>サービス提供>カスタマーサポート

他にもBusiness Intelligenceツールでデータ可視化・分析を支援したり、プロダクト間の自動連携を促すようなアイディアも考えられますが、特に留意したいのは、後述のデータ・ミドルウェアの視点と既存プロダクトとの相乗効果で顧客の業務効率性・収益性を更に引き上げられるか、という点です。

3)データ・基盤の視点

SaaS含むソフトウェアが増えたことで、大企業を中心にプロダクト間の連携不足やデータのサイロ化によって社内で新たな課題が生まれています。コンパウンドスタートアップ戦略を提唱する米Rippling社は、従業員データを基盤にHR領域で複数プロダクトを展開することで、顧客に複数の単体サービスの組み合わせでは実現できないシームレスな体験を提供しています。

これをB2C企業の顧客を起点としたエコシステム戦略を引き合いに出して考えると分かりやすいかもしれません。例えば、楽天は楽天IDという顧客IDを基盤としてEC、金融、携帯電話事業等の幅広いコンシューマーサービスを展開しています。楽天ユーザーはその共通IDで同一のUI/UXで複数サービスを利用することができ、ポイントも獲得・利用することができます。一方で、楽天も共通IDで顧客の行動・購買データを収集・分析することで、パーソナライズしたオファーを出しやすくなります。各サービス・プロダクト間の連携の深さという意味ではコンパウンドとまで言えるかは微妙ですが。

このように、B2Cでは当たり前となっているようなデータ・基盤を軸に相乗効果のある複数プロダクト・サービスを展開するというのがB2Bソフトウェア事業におけるコンパウンドスタートアップ戦略というものです。
その意味で、上述のプロダクトの視点とデータ・基盤の視点は切り離せないものだと思います。

4)生産性・成長性の視点

M&Aによる自社の生産性・成長性への影響を想定する視点も欠かせません。例えば、以下のような論点があります。

  • 既存プロダクトの単価や受注率の上昇、商談のリードタイム短縮に貢献するか。

  • マーケティング・営業部門の生産性向上に繋がるか。

  • 粗利率にどのような影響があるか(プロダクトではなく顧客のシステム導入・定着・活用を支援するようなコンサルティング会社や制作会社等をM&Aターゲットとして想定場合)。

  • 新しい技術・知識の獲得になるか。現在は、まさにAIがM&Aの中心テーマになっています。昨年Databricksが13億ドルでMosaicML社の買収で話題となりました。また、非テック企業のトムソン・ロイターが法務AI企業のCasetextを現金6億5000万ドルで買収した事例も興味深いです。自社の技術を強化する、非テック企業が新たな技術を獲得する手段としてM&Aは有効です。

  • 優秀な人材の獲得につながるか。グローバルの大手テック企業によるM&Aでは、M&A先の経営者が後にM&A主体の経営陣に名を連ねることが多々あります。優秀な従業員だけでなく、自社の経営陣の強化にもつながる可能性があります。

  • 海外進出の足がかりになるか。

5)パートナー戦略の視点

最後に、パートナー戦略の視点です。M&Aを検討する際に、「協業」を通じてM&AのGoalを達成することはできないのかという問いかけは必要です。
業界の特性によって他にもあり得ますが、B2Bソフトウェア企業のパートナは大きく以下の3つのパターンがあります。

  • 営業パートナー(顧客紹介、顧客取次、ライセンス販売を提供)

  • コンサルティングパートナー(顧客のシステム導入・定着・活用を支援)

  • マーケットプレイスのパートナー(プロダクトの拡張機能を提供)

各パートナーについての詳細は割愛しますが、自社の成長戦略においてどのようなエコシステムを創っていくのか、その中で内製化とパートナーシップをいかに使い分けるか熟考したいポイントです。特に、プロダクトのマーケットプレイスは、Bessemer Benture Partnersが提唱するSix product strategiew to catalyze your Second Actでも言及されているように、多くのグローバルソフトウェア企業が採用する成長戦略の一つです。