ぼくに何ができるだろう
人生でたったひとつだけ、後悔していることがある。
高校に行かなかったことだ。
正確には「行かなかった」ではなく「行けなかった」。
ふとしたことがきっかけで、中学2年の途中から徐々に学校に行かなくなり、3年の始めには完全に不登校になった。
義務教育から逃げ出した結果、高校受験という選択肢を失った。
定時制や通信制の高校に行く選択もできた。
だけど当時のぼくには逃げグセがついてしまっていたようで、そんな気力も起きなかった。
じゃあ何をしていたかというと、実はほとんど覚えていない。
たぶん嫌なことがたくさんあったんだろうけど、都合の悪い記憶として頭から消してしまったんだと思う。
そんな中でも、いまでも鮮明に覚えていることが4つある。
1つは、らんま1/2の単行本全巻を駿河屋で買ったこと。
2つ目に、メイプルストーリーというオンラインゲーム上で、xx葛葉xxというプレイヤーと結婚したこと。
次に、ドラゴンクエストモンスターズジョーカー2(DSのゲーム)を2日でクリアして、マスタードラゴンを配合するまでやり込んだこと。
最後に、"生きるのに疲れた人が取る最終手段"について、深く調べたこと。
これ以外のことはぼんやりとしか覚えていないし、そのときにどんな感情をもっていたのかも思い出せない。
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あれから、12年の月日が経つ。
当時のことを親と話したことは一度もない。
たぶんお互いに、どこか後ろめたい気持ちがあるんだと思う。
「ぼくの人生は、ここで一度終わったんだ」
そんなふうに考えてきたから、だいたいのことはあっけらかんと流せるし、挑戦に対する不安もまったくと言っていいほど感じない。
これからの人生でどれだけ失敗しようと、いくら借金を抱えようと、好きな人にこっぴどく振られようと、あのときに比べたらずっとマシだ。
強がりじゃなく、本気でそう思ってる。
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そんな経験があり、ぼくにも目標ができた。
「引きこもり(予備軍)の子どもたちの、人生を変えるきっかけをつくりたい」
自分と同じ境遇の人を救いたいという、ありふれた話。
学生時代には、地元のフリースクールに顔を出してみたり、いろんな事情で施設に預けられている子どもに、ボランティアで勉強を教えたりしていた。
だけど社会に出て、生きていくためのお金を稼ぐ必要が出てきてからは、自分意外のことを考える余裕がなくなった。
お金で苦労することもたくさんあったから、
「まずは自分の器を満たすために、精いっぱい働こう」
そう思って、がむしゃらに生きていた。
働きはじめて3,4年が経ったころ、いまから1年くらい前に、ワークライフバランスがようやく安定してきた。
自分以外のことを考える余裕も出てきた。
「同じような経験をしている子どもたちに、少しでも多くの選択肢を見せてあげたい」
これがぼくの行動理念になったのは、もはや必然なんだと思う。
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そんな目標を、去年の6月くらいから公言するようになった。
不思議なもので、アピールしているとチャンスがどんどん巡ってくる。
ジョージアでお酒を飲んでいたら、国際協力機構(JICA)の人とたまたま話す機会があり、ぼくの目標をなんとなしに伝えた。
その日は連絡先だけ交換して別れたのだけど、数週間後に連絡をいただいた。
「日本で教育事業を展開している企業さんが、アルメニアとジョージアに現地取材に来るんだけど、木村さんも一緒にどう?」
二つ返事で承諾した。
そしていま、アルメニアにいる。
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この数日間で、
教育省
大使館
学校
TUMO(IT教育機関)
の取材に同席させてもらった。
学校教育のレベルの高さに驚きつつも(下記ツイート参照。興奮してスレッドにたくさん書いてる)、今日行ったTUMOの衝撃がすごかった。
TUMOについて一言で説明すると、
「めちゃくちゃ整った環境でITを学べる遊び場」
という言葉がしっくりくる。
指導者はいるけども、すべての学びを主体的に行うところが、普通の学校や塾とは違うところ。
そこかしこにMacが置かれていて、アルメニアに住んでいる12−18歳であれば誰でも利用できる。
個別のカリキュラムやIDに紐付いた学習履歴なんかも完備されていて、これまで目にした中でも抜群に優れた教育システム。
国や企業、著名人からの支援で成り立っており、利用料は1円もかからない。
ここまでは前情報で知っていた。
だけど実際に行ってみたら、
「なにこれヤバい」
完全に言葉を失った。
プログラムは充実してるし、指導者のレベルも高いし、世界中に進出してるし、何より子どもたちがみんな楽しそう。
そんな光景を眺めているうちに、こんなことが頭をよぎった。
「あれ?もしかして教育機関を新しくつくるよりも、TUMOを日本に取り入れたほうが有意義じゃね?」
ぼくの目標が一瞬で書き換えられた。
熱が冷めないうちに、初めてnoteを書いた。
「ぼくに何ができるだろう」
少しずつではあるけど、着実に見えてきた。