不便は不幸ではない
最近というかこの数年間の考え事の1つが、
「人口減少,高齢化のなかで地方がどう生きるか」
でして。
そんな中、以下の記事を読んだんですね。
確かに便利だなぁ、と思ったんですね。
自分も家から徒歩1分にコンビニがあって便利ですし、田舎生活もしていたので物々交換っぽいこともありましたがそういうの面倒だな、、と思うタイプだったので。
ただ不便だからそれが不幸だったかというとそう感じておらず。
そもそも不便っぽいことが幸せに繋がるケースもあるなと。
珈琲を豆から挽いて淹れるとか手間ですし、山登りも大変だし(運動したいならジムでも自宅でもいい)飲み会も不便と非効率の塊。
ただこれらは幸せだと思える時間を与えてくれるわけで。
便利や効率が幸せを提供してくれるときもありますが、決してこれらだけが幸せではないわけですよね。
なので便利で効率的な社会になれば(その状態はお金があれば得ることもできる)幸せになるかというとそうではない。
ただ便利で効率的な社会で幸せになる人もいますし、一定の利便性はあるといいわけで、社会(政府や国民など)はこの社会を目指しますよね。
(あまり関係ないですが、冒頭の記事で良いなと思った文章です)
幸せとは自分らしく生きること
便利で効率的な社会という点で、東京には勝てないわけです。
人口13万人の木更津に住んでいますが、高学歴な大学はなく、年収が高い企業も多くなく、おしゃれなカフェが無限にあるわけではなく。
地方が東京にどんな魅力で勝っていくか。
それは自分らしく生きることなんじゃないかなと。
・自分がやりたい,やりがいを感じる仕事で働ける
・自分にあった生き方,働き方ができる
・気の合う人たちが周りにいることで自分らしくいられる
など。
この"自分らしさ"や"自分が求める幸せ"を見つけることが難しいので、お金や便利さに幸せを求めがちなんですが、その先の幸せをしっかり考えられる社会であるといいなと。
「マズローの欲求5段階」でもある通り、承認欲求や自己実現の欲求を満たせることを目指していくことで勝てないだろうか、と。
そういう社会さえも、東京でも頑張れば作れると思うんですが、それが日本全体(つまり東京住民含む)にとって良い未来かというとそうではないわけで、面白い社会をつくるならぜひ地方で挑戦して欲しいな、と思います。
長くなってきたので、一旦ここまでで。