腎臓リトリートBreaking the Salt in Fujino
湧き水が喉を通った瞬間、俺は全身の血液が揺れたのを感じた。冷たい水が腎臓の奥深くまで届き、何かが剥がれ落ちるような感覚。これが土屋拓人の言っていた「腎臓リトリート」だというのか?馬鹿げている。けれど、この藤野の深い森に飲み込まれるようにして立っていると、今まで信じていた常識が崩れていくのがわかった。
土屋拓人、48歳。かつては東京の夜を席巻した男。俺たちは渋谷のクラブで踊り、酒に溺れ、音に身を委ねて生きてきた。腎臓なんて言葉が会話に出てくることは一度もなかった。でも、奴は変わった。高血圧で腎臓を壊したのだと言う。その後、東京を捨て、この山奥で「腎臓リトリート」なる奇妙なプログラムを始めた。メールには短くこう書かれていた。「お前も腎臓を気にしろ。ここに来い。」
そして今、俺はここにいる。森の中で湧き水を飲み、土屋の導きに従っている。隣には同じく呼び寄せられた旧友たちがいる。みんなかつての東京の夜の住人たちだ。顔には少し疲れが見える。だけど、誰もこの旅を馬鹿にしていない。
夜、古民家に集まった俺たちは、シェフが仕立てた鹿肉のグリルを囲んだ。柚子のソースがかかった肉は、減塩という言葉を忘れさせるほどの深い味わいだった。土屋はジンを湧き水で割りながら言った。「腎臓はただのフィルターじゃない。命そのものを濾過してるんだ。俺たちはそれを酷使してきた。今からでも遅くない。再生させるんだ。」
その言葉を聞きながら、俺たちは黙って酒を飲んだ。湧き水とジビエ、そして低音のビートが古民家を満たしている。DJがセットを始めると、空気が変わった。低音が体を包み込み、血液の流れが整うのを感じた。それはまるで腎臓の糸球体が、音のリズムに合わせて機能を取り戻しているかのようだった。
明け方、俺たちは凍えるような寒さの中、陣馬山山頂に向かった。吐く息が白く染まり、足元は凍てついて滑りやすい。それでも誰も言葉を発しなかった。全員が太陽を待っていた。そして、紫から橙色に変わる空が徐々に光を帯び、太陽がゆっくりと顔を出した瞬間、全員が沈黙の中で息を呑んだ。その光景は、体の中の何かを浄化していくようだった。
俺の腎臓は、糸球体のフィルターが壊れかけていたのを感じていた。高血圧という暴力が俺の内臓を蝕み、命のバランスを狂わせていた。でも、この湧き水、この低音、この山の冷たい風が、俺の腎臓を静かに再生させているのがわかった。毛細血管がもう一度命を取り戻し、血液が清らかに濾過される感覚が全身に広がった。
帰りの電車で、土屋が言った。「腎臓ってのは体のリズムそのものだ。お前がどう生きてきたか、全部そこに残る。今ならまだ間に合う。守れるんだ。」
俺はそれを信じるしかなかった。この旅は腎臓の話だけじゃない。湧き水、鹿肉、柚子、山頂の太陽、そして音楽。それらすべてが俺を再生させた。渋谷に戻ったらまた夜に溺れるかもしれない。でも、この記憶が俺をどこかで支えてくれるはずだ。腎臓リトリート――それは単なる儀式ではなく、俺たち自身の命を取り戻す戦いだった。