きょうの難経 五十九~六十一難 2022/1/27
五十九難は狂病と癲病の鑑別についてです。
前提として、二十難に以下の記述がありましたので、思い出しておくとこの難が理解しやすくなると思います。
重陽者狂 重陰者癲
脫陽者見鬼 脫陰者目盲
では本文。
五十九難曰
狂癲之病 何以別之
(狂癲の病、何を以てこれを別つや)
然
狂疾之始發 少臥而不饑 自高賢也 自辨智也 自貴倨也
(狂疾の始めて發するや、少しく臥して饑えず、自ら高賢なりとし、自ら辨智なりとし、自ら貴しとおごり、)
妄笑好歌樂 妄行不休是也
(妄りに笑い、歌樂を好み、妄りに行きて休まざる是なり)
癲疾始發 意不樂 直視僵仆
(癲疾の始めて發するや、意、樂しまず、僵仆して直視す)
其脈三部陰陽俱盛是也
(其の脈三部陰陽、俱に盛んなる是なり)
※癲 は、てんかんの意味だけでなく、精神の錯乱、「くるう」の意味があります。
※僵仆 立っていることができず、倒れて動かない状態
※三部陰陽俱盛 本間祥白先生の『難経の研究』によれば、
「三部」は寸関尺の脈の位置、「陰陽」はそれぞれ、「陰脈=沈、濇、短」、「陽脈=浮、滑、長」。つまり、
狂=陽病(重陽)=寸関尺は皆、陽脈=浮、滑、長
癲=陰病(重陰)=寸関尺は皆、陰脈=沈、濇、短
続いて、六十難は「頭心の病」の鑑別。
六十難曰
頭心之病 有厥痛 有真痛 何謂也
(頭心の病に、厥痛あり、真痛ありとは、何の謂ぞや)
然
手三陽之脈 受風寒 伏留而不去者 則名厥頭痛
(手三陽の脈、風寒を受け、伏留して去らざる者は、則ち厥頭痛と名づけ)
入連在腦者 名真頭痛
(入りて腦に連なり在る者は、真頭痛と名づく)
其五藏氣相干 名厥心痛
(その五藏の氣、相い干すは厥心痛と名づく)
其痛甚 但在心 手足青者 即名真心痛
(その痛み甚だしく、但だ心に在りて、手足青き者は、即ち真心痛と名づく)
其真心痛者 旦發夕死 夕發旦死
(その真心痛の者は、旦に發すれば夕に死し、夕に發すれば旦に死す)
この難は、『霊枢』厥病篇との関連が指摘されています。
厥頭痛 面若腫起而煩心 取之足陽明太陰・・・
真頭痛 頭痛甚 腦盡痛 手足寒至節 死不治・・・
厥心痛 與背相控 善瘈 如從後觸其心 傴僂者 腎心痛也・・・
真心痛 手足清至節 心痛甚 日發夕死 夕發旦死・・・・
ここまでの流れで考えれば、頭痛と心痛それぞれに、陽病と陰病があって、その鑑別について述べている、と考えることができるかもしれません。
さて、今回の最後は六十一難。
有名な四診(望、聞、問、切)についてです。
六十一難曰
經言望而知之謂之神
(經に言う、望んで之を知る、これを神といい )
聞而知之謂之聖
(聞きてこれを知る、これを聖といい)
問而知之謂之工
(問いてこれを知る、これを工といい)
切脈而知之謂之巧 何謂也
(脈を切してこれを知る、これを巧という、とは何の謂ぞや)
然
望而知之者 望見其五色 以知其病
(望んでこれを知る者は、その五色を望み見て、以てその病を知る)
聞而知之者 聞其五音 以別其病
(聞きてこれを知る者は、その五音を聞きて、以てその病を別つ)
問而知之者 問其所欲五味 以知其病所起所在也
(問いてこれを知る者は、その欲する所の五味を問いて、以て其の病の起こる所、在る所を知るなり)
切脈而知之者 診其寸口 視其虛實 以知其病 病在何藏府也
(脈を切してこれを知る者は、その寸口を診、その虛實を視、以てその病、病みて何れの藏府に在るかを知るなり )
經言以外知之曰聖 以內知之曰神 此之謂也
(經に、外を以てこれを知るを聖といい、內を以てこれを知るを神と曰うと言えるは、これこれを謂うなり)
ここは有名すぎてあまり足すことがないのですが、張景岳は有名な十問歌を残しています。
一問寒熱
二問汗
三問頭身
四問便
五問飲食
六問胸
七問聾
八問渇倶當辨
九問因脈色察陰陽
十問気味章神見 見定雖然事不難也須明哲勿招怨
今でも大いに参考になる十か条だと思います。
それでは今回も、最後までお読み頂きありがとうございます。