信号のない横断歩道
信号のない横断歩道を渡る時、車がこっちに向かってこようともなるべく気にせず渡るようにしている。もちろん車が向かってきていることは認識しているので、警戒しながらの横断だ。大体の車は僕の存在に気づき、減速し、停車してくれるが、おみくじで大吉が出るくらいの確率でそのまま突っ走ってくる輩がいる。そんなやつらは、あたかも僕が悪いことをしているかのような顔で急ブレーキをかけ、ギリギリのところで停まる。
僕に自殺願望があるわけではないので、その点は安心していただきたい。もう少しのところで「早まらないでください!」とコメントしそうだったと思うが、その言葉はそのままお返しさせていただく。
なぜそんなことをするのか。答えはシンプルで、あまりに停まらないやつが多いからだ。
上に僕は「大体の車は僕に気づき」と書いたが、それは僕が渡り始めているからであって、待っているだけでは素通りしてしまう。
本来ならば、渡ろうとする人が目視できたら車は停車し、道は譲らないといけない。しかしまあこの国は停まらない。全員が急いでいる。海外かぶれの戯言として聞いていただきたいが、オーストラリアはみんな停まるぞ。それくらい意識が高い。横断を待っているのが鴨の親子だったとしても停まる(実話)。
我先にと目的地へ急ぐジャパニーズたちは、点滅する青を見たら走るのではなく立ち止まるくらいのゆとりを持つべきだ。僕はそこに警告を鳴らすべく、信号のない横断歩道では車が来ていようが関係なく堂々と渡るのだ。
別の理由として「人を信じたい」というのもある。他者をどこまで信用できるかのテストを自分に課している面もあるのだ。あなたは停まってくれますよね?あなたは視野が広いですよね?もし気づかずに僕を轢いてしまいそうになったら免許返納してくれますよね?
そういうふうに、信号のない横断歩道を渡る時は祈りに似た念をこめている。より良い世の中にするためだ。いた仕方ない。
気を引き締め直して外を歩く。自転車に轢かれそうになった。大阪にはこれがあったのを忘れていた。さらに引き続き電動キックボード集団がクラクションを鳴らされながら側道をブッ飛ばす。捨て身の覚悟で大阪の交通を是正するのは赦されないようだ。身が何個あっても足りない。