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Juice0228武道館感想・有澤一華さんの「だまされる才覚」

だまされることは、だいたいにおいて間抜けだ。ただしかし、だまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの、笑いもなにもない、どんづまりの世界になってしまう。
いしいしんじ著「プラネタリウムのふたご」より


2023年2月28日、Juice=Juice武道館公演を観に行ってきました。昨年中止になった振り替え公演とのことで、時間をかけて練られた演出とパフォーマンスが素晴らしかったです。年少メンバーたちも昨年から見違えるほどレベルアップしてるようにみえました。なかでも僕が目を引かれたのは有澤一華さんでした。

有澤さんの普段の姿はコメディチックで、ツッコミどころの多い印象ですが、舞台に立つととたんに璃々しく、そのギャップに驚きます。

それだけならほかのハロメンにもよくあることなんですが、有澤さんの表現はほかのメンバーと少し違っているようにみえました。
ハロプロファンの間ではアイドルの表現を形容するときに「憑依型」という言葉が使われることがあります。これは、曲の世界観に飛び込んで普段の自分とはまったく違う表情を見せてくれるメンバーに対しての言葉だと思うんですが、有澤さんは「憑依型」とは違った表現をしていて、一曲・一フレーズごとに表現をきちんと考えて、計算して演じているように見えました。

「演じる」ことは矛盾の塊のような行為なんですが、有澤さんは冷静に演じる自分と、自分たちのパフォーマンスに感動する自分をうまく両立させているんだと思います。冷静な自分だけでは嘘にまみれた演技になり、ただ自分たちに熱狂するだけでは計算された表現はできない。
もともと重度のハロプロファンであった彼女は「自分が観たい表現はこういうものだ」というイメージがしっかりできているはず。今まで自分を勇気づけてくれたアイドルたちの表現をイメージして、それを体現するように演じているんじゃないかと感じました。
「まず自分がだまされる(=信じる)」ことができるパフォーマーはとても強い。アイドルが与えてくれる多幸感や感動を知っていて信じているからこそ「演じる=普段と違う自分になる」ことが嘘にならないんだと思います。

冒頭で引用した「だまされる才覚」はいしいしんじさんの「プラネタリウムのふたご」からお借りしました。「だまされている人はだいたいにおいて間抜け」という言葉は良いようにも悪いようにもとれる言葉だと思います。有澤さんの日常と舞台上の表現は「だまされる才覚」のすばらしい面を見事に表してくれています。
アイドルにだまされていない人たちはアイドルファンたちの(ときに)常軌を逸しているようにみえる様子のおかしさを冷笑するかもしれません。でもそれは、大きくいえばこの世界にうるおいを与えてくれている、かけがえのない間抜けさだと思います。

「プラネタリウムのふたご」には以下のようなセリフもあります。

「ひょっとしたら、より多くだまされるほど、ひとってしあわせなんじゃないんだろうか」
いしいしんじ著「プラネタリウムのふたご」より

正直、いまの世の中では上記のセリフをそのまま肯定できるような状況にないように思います。誰もがだまされないようにしなければならない世界であまりにナイーブすぎる。
でも本当は、だまされる才覚を持った人が楽しくだまされ「多くだまされるほどしあわせ」と言えるような世の中になってほしい。
モーニング娘。’23の譜久村さんや小田さんは「モーニング娘。の目標は世界平和です」と発言していたように記憶しています。途方もない目標を人は笑うかもしれないけど、彼女たちも「だまされる才覚」をしっかりもっていて、それを世の中に広めていこうとしているんじゃないかと思います。


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