大切にしてくれる場所の見つけ方
「どういう仕事に就くとよいですか?」と21歳男子に聞かれて「自分を大切にしてくれる場所で働くといい」と答えた。
いい会社とかデカイ会社もナイスだけど、やっぱり「大切にされる」は優先順位を高くしたほうがいい。
ただ、彼には「そのために分かりやすくいいやつになっておくほうがいい」とも付け加えた。
僕は就職したり、バイトリーダー的存在になったこともないので、じつのところ「はたらく」という話に具体的イメージがわかないのだが、6年ぐらい会社経営をやらせてもらっているので、「はたらかれる」という立場で何となく想像を膨らませて話すことができる。
ちなみに会社には「法人格」という概念がある。組織にも『人間と同様に人格を認めること』を指す法律だ。
僕の会社は100%自己資金、権利が自分にしかない状態になっている。これはバンドで例えると、「運営費やスタジオ代、交通費、レコーディング代も全部ボーカルが出していて、メンバーはサポート」みたいなものだ。
感覚的には自分と会社が同一化されているため「会社を大切にしてくれる」という態度は、僕自身を大切にしてもらえていると言ってもいい。
冒頭の21歳の男子には「自分を大切にしてくれる場所で働くといい」と答えたし、僕もなるべくそのスタンスで経営したいとは思う。
だけど現実はそんなメルヘンだけではできていない。
なぜなら会社サイドを大切にしてくれるひともいれば、そうでないひともいるからだ。
やはり「場を大切に扱わないひと」が他人に大切に扱われるのは難しい。社会というのは存外きびしく、現金なもので、いいやつは良いレスポンスがもらえるようになっているし、嫌なやつはふわっとムカつかれて、嫌われる。
みんなが平和に過ごせるのが最高なのだけれど、「みんな」の属性、ポテンシャルによる。
たとえばやたら不機嫌で曲も覚えてこないドラマーがいたら一緒に活動はできない。キッチリと仕上げてくるギタリストとベーシストに申し訳が立たなくなるし、シンプルに付き合いたくない。
会社経営というのは「場所の提供側」だ。公園や広場の看板にルールを書くのと大差ない。『野球、ゴルフの練習は禁止‼️』と書くことに近しい。
それでも野球やゴルフをやろうとする人間は一定数出現する。彼らが淘汰されるようなしくみを作っていかないといけない。公園自体が西成みたいになっちゃうからだ。
これを読んでいるひとの中にも「いま、属している場所」で大切にされているひとは沢山おられると思う。これはそのひとが所属フィールドを人並み以上に尊重してきた結果なのだろう。
大切にされるだけのことをしてきたのだ。
もちろん世の中にはいくら与えても返ってこない場所、理不尽にボロクソにされる場所も山ほどある。いっぱい味わってもきた。
だけど外れ値ともいえる。やはりほとんどの場合、こちらから大切にしていけばお返しが来ることが多い。
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