マスオの物語に興味が湧いてこない。カツオの持つ悪徳性の方が好きだ

「裏表の無い人」というのがいる。

フィクションやエンタメでは善人の特徴、魅力として描かれることが多い。悟空、ルフィのような少年マンガの主人公に備わっている性質だ。

フィクションならば良いのだが、現実世界にいる「裏表の無い人」というのはけっこうしんどい。結局、「奥行きの無い人」にも映るし、「薄っぺらい人」にも映る。

彼らは会話をしていても、どこか緊張感が無い。

「もう二度と会いたくなぁ」と思うことがわりとある。別に嫌いなわけではないのだが、もう学生ではないし単純に時間を共にしたくなくなってくる。

「嫌いではない」と書いたが、成人すると、そもそも表面的な好きとか嫌いだけで、物事が進むことなんてほとんどない。
「好き嫌い」は二の次だが、「面白くない」とキツイのだ。お互いに興味深い存在でないとつまらないのだろう。「好き嫌い」なんてものは遅れてやってくる方が都合が良い。

反対に「裏表のある人」の話をしてみる。

彼らはどうにも面白いことが多い。切れ味があって、本質的だったり、知性的だったり、大衆的ではなかったり、という独自の哲学がある。

モラリストというのは「善い」のかもしれないが、その「善さ」がもたらすものは何だろうか。

マザーテレサ級の善さなら世界を変えると思うが、そこらへんにある善さや真面目さだけでは笑われるだけで終わることがある。

もちろん裏で小ざかしいことをやる方がいいというわけでもないし、イカれた不道徳を繰り返せという話でもないが、「僕は表のみ!真面目一筋!」というのはやはりどうにも面白みがない。

磯野家にマスオという男がいるが、アレに近いのだろうか。

僕はやつの物語にはあまり興味が湧いてこない。カツオの持つ悪徳性の方が好きだ。しかし仮に『マスオ、波平に口論を仕掛ける』という話があれば見てみたい。「舐めんなよ。殺すぞ」という気迫に満ち溢れたマスオの方が、ふだんのマスオより視聴率を稼ぎだすんじゃないだろうか。

あなたも周囲から「真面目な人ね!」や「マスオさんみたいね!」という評価を受けたら、けっこう嫌ではなかろうか。
「いいこちゃんね」というのは褒め言葉でもなんでもないのだ。

極論だが、イチロー、スティーブ・ジョブズ、YAZAWA、米津玄師、井上尚弥、中田英寿などAクラスの天才連中は「表丸出し」では無いし、マスオから最も遠い位置にいる。大谷翔平も右から左へ聞き流す天才らしい。

みんながそんな天上エリアまで到達できるわけはないのだが、「カッコいいものってどういう状態なのか」と考えることは生産的だ。「ダサイのってどういう状態だろう」と想像しておくのはさらに即効性がある。

鏡ばかり見ているような過剰なナルシシズムは馬鹿みたいだが、「ダサくなりたくないねん」ぐらいのナルシシズムは人生をほんのりスパイシーにする。

男ならデブりにくくなるし、女ならだめんずウォーカーにならずに済む。

何かしらの勝負をしているなら、負けを許せないし、物を作っているなら、クオリティを上げたくなる。
苦しいときに泣き言を止められるし、嬉しいときに周囲に気を配れる。

「きゅうくつだよ!」と言うのは簡単なのだが、それだけでは色気がない。

どんなひとにもハメを外すときや我慢が崩れるときはある。だけど、いつも我慢と欲望を垂れ流しにしていても、面白みが無い。

「裏表」というのは「節操」というやつなのだろうか。


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