「つながり」って
ビジネス書などでよく紹介されている 「弱い紐帯(ちゅうたい)」理論というものがある。
「価値ある情報やチャンスは親しい友人や会社の同僚といった強いつながりのある人ではなく、むしろ一度会って名刺交換した程度の知り合いや知人の知人といった弱いつながりのある人物からもたらされるよん」という理屈である。
スタンフォード大学の社会学者マーク・グラノヴェッター教授が提唱した仮説だ。
この理論の応用としてビジネス書では「人脈を広げましょう!」とやたらめったらに書かれる。
「いろいろな人と会って名刺交換をしましょう」もそうだし、「それが人生を変えるようなチャンスをもたらしてくれるかもしれません」と繋がるわけだ。
これは音楽業界でもかなり強く提唱されている。やけにあちこちと繋がれ!とまことしやかにささやかれる。
しかし、実感としては「そんなわけあるかい」と言ったところだ。
たとえば異業種交流会や「おもろいメンツが揃うから来なよ!」みたいな飲み会に出かけて、そこから何かチャンスに繋がることがあるだろうか。
残念ながら一度も無い。伝説の夜はいつだって仲のいいダチが作ってくれるものだ。
僕にも知り合い程度のひとからの誘いのもと、行ったパーティーや集まりの経験がないわけではない。
だがそこには何のチャンスもないし、打開のキッカケもなかった。
僕の人間力にも原因はありそうだが、やはり難しいと思うのだ。
では「弱い紐帯」は威力皆無なのだろうか。マークグラノヴエッターは気の狂ったマッドサイエンティストで学会から追放すべきなのだろうか。
そうではない。
僕が「弱い紐帯」を増やしていくなかで気付いたのは、結局「強い紐帯」にくっついている「弱い紐帯」でないと意味がないということだ。
「僕とAさんの友達のBさんが持ってきた話」というのは、「弱い紐帯」なのだ。僕とBさんは知り合いではないからだ。だけど、BさんはAさんと仲がいいから、もっと言えば「信用できるから」その話をAさんにしたのだ。
そしてAさんが僕を信じてくれるからBさんの話を振ってくれた、という例え話だ。
この場合、「弱い紐帯」はとてつもなく作用する。自分の座組みだけでは発生しない何かに手がかかる。
だが、いきなりBさんが僕にその話を持ってくることはない。持ってきたとしても僕も信用できない。
それに全然関係のないひとから飛んでくる「いい話」というのはうさんくさい。
「知り合いの知り合い」から舞い込んだ話は素晴らしい結果を生むことが多かった。伝説の夜にガッチリと繋がった。大人になってしばらく経つと、人生というゲームのやり方がわかってくる。わかってくるとゲームは少し面白くなってくる。