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シン・仮面ライダー:現実嫌忌と葛藤

先週の土曜日に庵野秀明監督の最新作『シン・仮面ライダー』を観てきた。
ある程度の期待はしていったものの結果から言えば個人的には微妙な映画だった。年齢的には平成ライダーをクウガ~電王・キバあたりまで現役で観ていた世代の私ではあったが、初代ネタてんこ盛りの内容に乗り切れなかったというのが正直なところだ。

シンシリーズの全作品である『シン・ウルトラマン』の時に私はシン・ウルトラマンの感想ではなく、『シン・ジャパン・ヒーロー・ユニバース』自体の考察を行った。それはざくっりとまとめれば、エヴァが「虚構から現実へ」、ゴジラが「現実VS虚構」、ウルトラマンが「現実と虚構の中間」、そして仮面ライダーが「不可分の現実と虚構」(予想)というシリーズ全体の構造分析だった。
そして私は『シン・仮面ライダー』に現実と虚構の融合の形、自分自身の欲望との戦いとその先にある自立というテーマを描いてくれるのではないかと勝手に期待していたのであった。
以下は、そんな私が表現・シナリオ・テーマといった観点からの振り返り感想である。

*以下ネタバレあり、ネガティブな感想になるのでご注意ください。
**嫌な人はブラウザバック推奨

表現:更新が無かったCGバトル

本作の欠点としてまず目についたのは少し安っぽく感じるCGだった。『シン・ウルトラマン』の時もフルCGでやっていたもののあの時はまだ特撮でやっていたことをCGで表現するという表現の課題のようなものは感じられたが、今作は勿論個々のライダーや怪人のデザインは古い要素も残しつつ現代風にアップデートされていたものの、CGに関しては仮面ライダーの良さである等身大のスーツアクションの良さを消してしまい、まるでドラゴンボールの映画を観ているような感覚になった。
特撮を特撮それ自体の保存ではなくその技法を引き継いでCGで表現するというのは現代の映像表現の中で特撮が生き残るために必要なことだと思うが、それが表現のチープさに繋がってしまっては元も子もない。予算や人といった作品外の要素が原因なのかは定かではないが、個人的には一番残念なポイントだった。

シナリオ:解かれていなかったエヴァの呪縛

本作の欠点としてもう一つ上げられるのが、シナリオだろう。唐突にバイクでの逃走シーンから始まり、緑川博士の怒涛の説明にとりあえずは状況を飲み込んでしまう主人公。その後は、敵組織の怪人を1人ずつ倒していく分かり易いシークエンスに入っていくのだが、結局ラスボスのイチローがやりたいことが人類補完計画であり、それを家族愛で解決して犠牲になった人か消滅していく、エヴァパターンになってしまっている。
1つは悪の組織ショッカーの目的が最も絶望した人(個人)を救うことであるのに対してイチローの目的が人類補完による最大多数の幸福の実現と微妙にマッチしていないのが気になった。そのためラスボスであるはずのイチローが悪として弱い印象が否めなかった。
もう1つは『シン・ゴジラ』ではできていた登場するものに現代風の新たなモチーフを与え(ゴジラ≒震災・原発)、物語をアップデートすることが前作の『シン・ウルトラマン』からできていないことが気になった。ウルトラマンと仮面ライダーはどちらも過去作のオマージュに満ちたものにとどまっており、作品全体として新たなモチーフを獲得していたかというと疑問である。私が『シン・ゴジラ』以降庵野監督に期待していたのは、昔の写真を並べて懐かしむことではなく、その写真を並べ直して新たなコラージュやモザイク画といった新たな表現をつくることだった。
その意味で『シン・仮面ライダー』は前作の『シン・ウルトラマン』と同様にどこか内に閉じた作品になってしまっていた。

テーマ:数分で解決した葛藤

私が期待していたのは、もともとは悪の組織に作られた仮面ライダーが自身の力に苦悩し、それを乗り越え自立する展開だった。悪の力を使って正義のヒーローとして戦う。そのある意味矛盾した形が葛藤として描かれるのを期待していたのだが、序盤はすんなり緑川博士に説得されてしまうし、途中自分の優しさと力のバランスに葛藤するシーンはあるものの、水辺で思いにふけって決意を決めた後は、ポケモンの四天王戦のように次々に怪人を倒すシークエンスに入ってしまい、個人的な葛藤が描かれるシーンが少なかった。
物語全体を通して主人公が葛藤し、成長するストーリーが観たかった。

まとめ

私は前作の『シン・ウルトラマン』の記事でこのように書いた。

シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバースの作品群は、製作者(庵野秀明)の心の成長と《虚構》に対する視点の変化としてみることができるのではないだろうか。こういった視点で作品を楽しむのも面白いのではないかと思う。
庵野監督のこうした現実・日本・人間への希望といったメッセージは、それに対する期待や愛情に近いものともとれるだろうし、私は反対にフィクション≒《虚構》の力に対する信頼がないと映画という虚構を通してこれほどのものを描けないのではないかと思った。

https://note.com/takupochi/n/n2a97b090919e

『シン・ゴジラ』ではできていた現実・日本・人間への希望といった開かれたメッセージは、『シン・ウルトラマン』、『シン・仮面ライダー』では閉じた内(オタク)向けのサービスとして影を潜めてしまっているように思う。これは虚構の力に対する信頼ではなく現実に対する信頼の無さ≒社会性の無さの表れなのではないかと思う。シン・ゴジラではそれが空虚な政治への皮肉として機能していたが、シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーでは再び虚構のモチーフの中に帰って行ってしまい、作品が閉じたものになってしまっていると感じた。
シン・エヴァンゲリオンの最後でみせた現実への着地は結局、仕草だけのものだったのか。社会性を取り戻し、人類補完以外の語り口を手に入れ、また新しい作品を撮る際にはまた虚構の力を引き出して現実への強いメッセージを打ち出して欲しいと切に願う。
庵野秀明はそれができる(1度はできた)稀有な作家であると思っている。

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