Final Fantasy XIV 黄金のレガシー / 感想+考察 7.x編
ナギの時間で色んな工場ゲームを遊んでたけど全然終わらないままFF14の更新が始まってしまったので、一旦このゲームに向き合うことにする。
もう気付いている人も多いだろうが、黄金のレガシーに対する評価で魔境となったnoteにおいて先日の主観語りの記事が100人以上の方からいいねを頂いたのもあって7.1~を放置するのもナンだなと思い、ゲームの日記の習慣付けの意味も込めて更新することにした。
活動日記というよりストーリーに対する感想の部分を中心にたらたら更新予定。
2024-11-18:また追加で書いちゃった。
2024-11-16:ジュノ遊んだから書いた。
▼前回の記事
未知との邂逅
……あのメガネが割れるくだり……いる?ロネークは家族?ほないるか……。
疑問。それは人から知性が生まれる声である。
興味。それは知性から他者を知る第一歩である。
ではそれを持つことなく興った国という舞台で話はどう転がるのか。
何と言うか、ゾラージャの中身は概ね予想通りだった。登場人物はみな自分の行動に一切の疑問を挟むこともなく猪突猛進を繰り返し、端から見れば滅茶苦茶な行動がストーリーライン上の感情の置き場所を混乱させ続けている。相互理解や自己への問いを投げ捨てて行われる劇とは酷く退屈だ。
ゾラージャは目的意識に取り憑かれた蛮神、マムージャ族から生まれたトラルヴィドラールであるという仮置きはやはり正しいらしい。
彼は自分の呪われた肩書以外誰にも期待されていないだろうと思い込み、少なくともそのひたむきな努力に惹かれた女性を蔑ろにし、その子供、ひいては夫妻・父子・家族……という「何者にもならなくてよくなる自分」のカタチを盲目的に拒絶し、突き放している。かつて夢見た双頭の王。どれだけドームの内で双王ごっこ遊びを繰り返しても本物の頂に座れることなどありはしないことを自覚しながら。
この行動にはやはり疑問が介在していない。なぜ自分に一方的な愛情を持つ人間がいるのか?なぜその人間はそうまでして自分に尽くしてくれるのか?その疑問の一端さえ口にできれば、いつか彼は正妻と後継の存在という王を名乗るにふさわしい形態とともにトライヨラと向き合える未来だってあっただろう。しかし、純化した目的意識はそんなシンプルな打算すら自ら無に返していく。それもそうだろう。彼は王になるための装置と自分を定めたからだ。
――それはなぜ?
ゾラチの思う『双頭の王』は子供を持たないし、苦悩を吐露しないし、武力で国土を広げて民に安寧を約束する誉れ高い約束の王だからである。アイドルは結婚とかしない。そういうレベルの強火。今にして思うと『武王ゾラージャ』は新生で出会ったキレキレのナイフだった頃の漆黒の王狼ガイウスになんだかダブる人物像だった。ゾラチもマイクから入ってみよう!
一人だけなぜか魂にガレマール根性が染み付いてる人間がトラルとかいうのほほんとした夏休みの国に生まれてしまったことは悲劇である。みなぎる殺る気を発散する場所とかないし。父親もあれだけの武力を持っておきながらなぜか諸外国とドンパチしたがらない。父親は国が大好きなので当たり前だが、若いゾラージャの目には"そう"としか映らない。
まあ、武王となったゾラチの悲しいところは自分がやっていることが子供のごっこ遊びの延長であることに恐らく自分で気が付いてしまっていることなのだが。
謎に包まれていたグルージャの母、テーシャジャはそんな蛮神を崇めるテンパードだった。崇めし者に己の救いを求め、自分の思う幸せのカタチを与えればきっとあの人は自分の方を向いてくれるはずと信じて止まない常人。だが、常識の枠に囚われたままの凡人の『神』への恋慕など報われる理由のない幻想であり、そして憧れは理解から最も遠い感情であることは誰もが知るところであった。
そしてやはり、そこに疑問はない。自分は彼の何に/なぜ惚れたのか?子供を産めば何とかなるものなのか?自分の父母はそうだったか?
立ち止まることがないのでまずそこに気が付けないままに、ブレーキから足を離して『人造トラルヴィドラール』とも言える極端な解決能力に向かって邁進した結果、残ったのは父にも母にもなれない男女と遺された1人の被害者だった。
「自らの夢という金型に他人を押し込めようとした身勝手な弱者」という点ではお似合いの二人だ。自分には過ぎた欲求を自分で折り合いをつける、満足する、ということを知らない人間は得てして他人を使って己を満たそうとするし、その時他人の中に『自分ではない他者』という心の所在があることを無視する。
あまり大きな声で言えた話ではないが、自分もどちらかというとそういう気質が理解できない訳ではない方だし、そういった人間に今までの行いの全てを放り捨てて自分の心の中にある『満ち足りる』正解の路を探せというのは難しい話なのだろう、ということも理解はする。
そうしてグルージャにはそもそも自分の人生に疑問を持つ余地など与えられなかった。父は父であることの意味を何一つ理解できないまま錯乱し、権力だけを渡して自分勝手に死んでいった。母は諦めを知らないがために自己実現をやめられず、とうとう自分の身体を兵器として差し出して子供を一人遺して去った。ただそれだけの事実をグルージャは事務的に伝えられて、あとはもう王として機能する以外の選択を全て奪われた。
両親は華々しい伝説の上に立った訳ではない。どれだけ暗い路でも輝く愛情を遺されてもいない。アレクサンドリアにもトライヨラにも青いフビゴはもういない。いっそこの子が全てを嘆いて張り裂けるように叫んでくれたらこの話はどれだけ楽だっただろうかと思う。ラマチも反応に困っている。グルージャは我々が思っているより子供かもしれないが、我々が子供として扱うことはできない。
しかしグルージャは泣くことはない。王たる者は弱音を吐かないし、彼は誰もがもう二度と現れることはないと思っていた、英雄であり連王だったグルージャジャの真の意味での生まれ変わりだから……なのだろうか。
誰も見ない、誰もが知り得ない場所に、マムージャ族たちが思い描いていた空想の王がこっそりと生まれて捨てられていたというのなら……この話は……。
コーナも疑問を捨てている。コーナが自分を捨てた家族のことについて思うところがあるのならヘイザ・アロの遊牧民たちに「ロネークは本当に家族である必要はあるのか」と口にし、確執を作ってでも克服できない自己と向き合うべき場面だったが、彼は先に王になってしまったので言わないし、彼らに諭された「ロネークは家族」だという言葉をそのまま鵜呑みにして天秤にもかけられない王の生命を家畜一頭のために危険に晒す。
普通、自分の代わりなどいくらでもいると思っていなければこんな死に急ぎ方はしない。伝説を追いかけて王になったからだろうか。生き急いでいるのか、それとも死に急いでいるのか。もちろんそれらは一介の冒険者や英雄の思考であり、為政者のすることではない。
だがコーナは、ウクラマトは、そしてゾラージャはそれでは納得できないのだろう。トラルの王族たちの建前の下は皆『自分が王である』ということに対して酷く懐疑的であるようにしか思える。ちょうど他人の愛情を受け取れない抑鬱的な心に似ているような。
――トラルの王は国の何を誇ればよいのだろうか?
――親の愛情。
疑問の介在に対して考えたところで現れる(偽?)スフェーン。理想の王は他者に疑問の存在を許さない。それをはっきりと明示したのがラストの一連の流れだろうか。
人はトライヨラに帰る選択があったはずなのに。人の死を目の当たりにしてこれから路を選べたかもしれないのに。そんな不安からくる迷いの一切を消去して別の宣告で上塗りし、人にただ一択の安寧を約束する、永遠の闇の鏡写しに存在する永遠の女王のサガそのもの。
より優れた治世のために『全ての人間を救う』という人間としての最善を削ぎ落した(された)カスタムモデルの王様。しかし、いかなる悪神であっても、人が願う限り記録は幻想となり、幻想はスフェーンという蛮神に力を与え続ける。
トラル大陸の先往く者たちはみな『路』と表現される夢を抱くが、その重みと伴う痛みを知る者はほとんどおらず、こうして次々と蛮神に取り込まれるように死んでいく。分厚い雲の向こうの空の景色が分からないまま死んでいく爬虫類のように。
人生にこれから答えを見つけなければならない者たちをこうしてただ立って見送り続けるという万難と苦痛を、ヴェーネスも知っていたのだろうか。
……ヴェーネス。あれもまた人にとっての親だった。自分の興味を追いかけながらも他者をから一歩引いた間合いを保ち、他者と夢と知を語り合いながらも試すべき時は容赦することはなく。ハイデリンとなっても神として耐え忍ぶことを選び、アシエンにいいように不信を煽られても決して怒りを露わにすることさえなく、人々に見えない場所からアーテリスを支え続けていた。
……グルージャジャも。トラルという小さな世界を愛した。頭が二つあるという気味悪がられるような生まれを呪うことなく、興味の向くまま、気ままな風のように旅をし、いつか王として選ばれた。だが、若者に向かって口から直接自慢げに話すようなことは一切しなかった。それらの旅は『あくまで自分の人生』であり、今から生まれる人間は自分だけの人生の石碑を探して、聞いて、感じて、考えた方が良いのだから。
親と子。黄金のレガシーで頻出するテーマだが、何も黄金に限らずFF14にはずっと家族と系譜の話の線が引かれ続けている。
最初は故郷の掟を破りながら散ったルイゾワとその足跡を追った双子の孫から。二者に分かれて千年の憎悪を親から子へと手渡し続けた人と竜。暴力と支配を是とした国父から始まった支配の連鎖。翻って、親にも子にもなれないまま極めて個人的なスケールで慚愧を抱えた霊体としてもがき続けていたアシエンたちと闇の戦士。親になる意味を見出だせず自ら継承を辞めてしまった先往く星々と……そこから一人さすらうことを選んだミドガルズオルム。
疑問。それは子供に最初に芽生える知性。
興味。それは子が親から離れていく理由。
神の実在しうる世界において親と神はほぼ区別がつかない。では、FF14の世界において親と蛮神を分けるものとは?……改めてヴェーネス、グルージャジャ…etcとソル帝、イシュガルド教皇、スフェーン…etcを見比べれば答えは自ずと明らかになる。
親の話をしたあと、結局ゾラージャは何やねんという話をしてみる。
『半神半人』。ここまでの話で組み立てられるゾラージャの本質は人の親から蛮神として生まれた、生まれながらの半神存在だということ。
生まれながらに頭が蛮神になっているのだからあの壊滅的なコミュニケーション能力と異常な目的意識にも納得である。パンデモニウムで神人にとっての家庭環境の話は行われた。神はよく家庭でトラブル起こすし子供も個人として認知しない。
できないのだ。個として完結している存在が自分にぶらさがっている他者を認め、育むことは困難である。
『英雄願望』。ゾラージャはガイウスの近似存在だと言ったが、これはこのもう一つの本質によるものである。
『何らかの信条の下にいる』ということの内面化と『何者かになりたい』という自己への強い祈りが組み合わされると人は単なる信者/テンパードではない意志の力で駆動する守り人、つまり英雄になる……というFF14世界の法則であり、ゾラージャ=ガイウス=エメトセルクorエリディブスの願望であることを繋でいた不可視の話の糸である。親と蛮神と冒険者が同時に存在するFF14でこういう状況の組み合わせはあまり起きないけれども。
紅蓮のリベレーターの主要人物は全体的にここらへんに触れようとしていた気がするし、昇華されて生まれたのが水晶公から始まる漆黒のヴィランズの主要人物たちである。
『奇跡の子』。ヴァウスリーやミンフィリアに対するユールモアの民衆の目と相似するもの。人々は半神を人ではなく神として扱ってしまい、ゾラージャの人間の部分にトドメを刺した。
そもそも、「双頭は奇跡的にしか生まれない」という命題は真だったとしても「双頭(特異体質のマムージャ)に子供は奇跡的にしか生まれない」という命題は偽ではないか?グルージャジャやバクージャジャが生まれたのは確かに奇跡かもしれないが、ゾラージャが生まれたのは果たして本当に奇跡だったのか?
しかし、奇跡の子などと誰が言い出したか分からないが、トライヨラの人間はうまいこと認識をすり替えて祭り上げた。奇跡の子であってほしいから奇跡であることにした。トライヨラがアレクサンドリアの民と同時に犯した地域ぐるみでの大罪であり、眼の前の偶然に奇跡や祈りを見出す人間の悪癖である。
というわけで、ゾラージャという人物は一度に三つの本質が絡まった凄まじく難儀な生き物であることが導き出せた。こんなの普通に7.0を一周しただけじゃ分からんて。ゾラージャって実質ガイウスなんだよ!とか言いふらしながら外歩いたら狂いだと思われて捕まりますよ。
登場人物が揃いも揃って7.0から『他者の存在』というものへの意識が希薄なまま進むことはもう拭いようがない印象である。書いている人間が人間への興味を無くしているならもうこれはどうしようもないことなのだ。
このトライヨラという国が真にまとまるために、双方の王が無自覚に抱える疑問が氷解し、真に相互理解し合える日が来るのを待つばかりである。
交わる世界
バクージャジャ頭打った?……そういえば自分の操作してるラマチで強打してたわ。すみません、ちょっと分からせに力を入れすぎたせいで彼らの人格に影響が出てしまって……。
成人式にデカいバイク持ち込んでブイブイ吹かせてたタイプだったのに都会デビューして半年ぐらい絞られたら丸くなったヤンキーみたいだ。やっぱりバクージャジャってこっちの主観の印象よりもうちょっと若いよね。たぶん実年齢二十歳ぐらい。
バクージャジャの財布にダメージを入れたけど武王の協力者ともあろうものがこんな陰湿さを見せるな。……ウソ、やっぱり一回ぐらいは金欠にさせたい顔はしている。
せっかくのFF11コラボなのに、エウレカとエデン再生編で舐めたことある味しかしなかったせいで新鮮さが半分ぐらいしか存在してなかった気がする。良いのかこれは!!!!あのフェンリル、ヒュダトスで見た!!!!あの闇の王、再生二層で見た!!!!う~ん……(悪夢)
この国、カスタムメイドならぬカスタムキングが流行ってないか?なんで皆してやることがこれ☝なの?エルデンリング?サレージャまで王概念に強火を見せ始めたらこの国は一周回って終わりじゃないか?お前らもっと自分の治世に自信を持てよッ!!
……とまあ、父を否定しながら父になれないなどと言い出したゾラージャに続いてサレージャまでもが腹黒いツラをしながら『支配というものは完璧な王がするもの=自らでは行えないもの』という規範を内に包んで登場してきた。皆揃って後ろ向きすぎる!!!!この国のかしこサイドの人物はなぜか全員厨二病を経た後に社会進出に自信を無くしている高大生みたいなメンタリティで大人をやっている。なぜ。
……答えは単純、『グルージャジャこそが真のアイドルで金輪際現れない一番星の生まれ変わり』だと敵味方全員がうっすらと思っているからだ。そう信じている。そう祈っている。口では否定できても、やはり心のどこかでは強い父母の存在を懇願している。こうでもなければなぜか妙に言動の端々が鬱屈としていないだろう。今更になって、あの斜行リフトでガイウスに勝手に説教された言葉が耳をつんざく。
思っていたところで偉大な父親はもう既におらず、国民は皆自分の選択で生きる路を選ばなければならなくなったのだが。
日が過ぎるごとに一日ずつ確実に、トラル大陸の長い夏休みは終わり、自らの力で書いた宿題の提出を求められる日は近付いてくるのだ。それはヒカセンと賢人にとっての世界渡りの日かもしれず、トラルにとっての開国の日かもしれず。
――自分は何者になれば良いのだろうか?
――それが『自分が決められるものではないこと』が分かる日が来る。
人間は互いに祈り祈られなくては生きていけない生き物だから。
友好部族クエスト:ペルペル族
ハヌハヌは公然猥褻。
金による打算と文化を見せたいという2つの種族の思惑がカチあった結果として「我々は体験を売っているのだ」という結論にスピーディに辿り着けるの本当有能やねペルペル族。君たちも本編でグダってる人たちに説教しに行きませんか?我々には何もない~とか鬱モードのちいかわみたいなこと言ってないでさ。
ところで『特別な体験』って意味深じゃないですか?[+イマジンスケベ]
そんなワード出されたらこっちはおかしくなっちゃったよ。もうメインストーリーの空気がアレすぎて君らに狂ってないと日記書けないんだよ。男も女も下半身丸出しとか逮捕ものだよこれは。特別な体験しようや。……え?逮捕?こっちがですか?
「体験を売る」という言葉がこのゲームの中から発せられることに言外の意味を感じるような、そうでもないような気がするのは気のせいだろうか。
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