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『君たちはどう生きるのか』感想(ネタバレ少なめ)

 観終わった時は「なんだこれ?」と思ってモヤモヤしたが,『ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉を思い出して,そのモヤモヤを保留した。社会はとにかく分かりやすく,面白い単純化したものを求めがちだ。youtubeの〇〇解説や本の要約サイト,TikTokがその例である。ル・ボンの『群集心理」ではどんどんファシズムに陥る大衆の心理を描いた。分かりやすいメッセージは人々を熱狂させる。だからこそ,内田樹の『複雑化の教育論』にもあるように複雑なものを複雑なまま理解しようとした。

 この作品をモヤモヤさせている原因の一つは登場キャラやストーリーが断片的な点にある。なぜこのキャラクターが出てきたのか。なぜこのような世界が構築されているのか。作中では明かされない。これは私が初めてシェイクスピア演劇を読んだ時に感じた疑問と同じだ。急に出てきて素性も明かされないままフェードアウトしていく。しかし,これは物語は筋が通るように,キャラクターも出てきた理由が明確にできているが現実はそうではないというメッセージではないだろうか。平田オリザは震災をテーマにしたワークショップを行った際に物語風に仕立て上げた高校生の脚本に対して助言をして,結果,物語のラストには何も解決しない何も起こらないようなシーンとなった。現実も同じで都合がいいキャラクターなどおらず,物語のようにうまくことは進まずに救いがないことだってある。それにどのような意味づけをするのかはその人次第である。私たちが普段見る夢も同様で,断片的な記憶から勝手にストーリーを作っているという話を聞いたことがある。

 ただ一つ明確なのは,主人公が『君たちをどう生きるのか」を読んだ後に行動が変容したということである。映画を観た後に漫画本を拝読したが古臭い部分はあるにせよ,叔父さんの「正しい道を歩もうとしているから苦しい」という言葉が印象に残った。主人公は嘘をついたり,周りの人間を拒否して,ひたすら逃げようとする。そんな主人公がコペル君の生き方に感銘を受けて,では自分はどう生きるのかを考えたのだろう。苦しいけども正しい道を歩むこともできるのか。それが主人公がトラウマを克服する原動力となったのではないか。

 私もできる限り映画のレビューを見ようとせず我慢してこの感想を書いた。思いついたままに,チェリーピッキング的に書いてしまっている部分もあるかもしれない。こじつけな部分もあるかもしれない。ただこの作品は見て終わりでも,映画の解説を見るのでもなく,ただひたすら自分が何を思ったのか感じたのかを書いて初めてこの作品の完成だと思って書いた。もしよければあなたの感想も教えていただきたい。