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04.人生の選択 選んだ先に見えたモノ

“本日は大学を卒業した後のお話を書かせていただきます。”

・仕事とサッカーの毎日

大学を卒業して、FCtiamo枚方に入団した。当時関西1部リーグに所属。ここでの給与はほぼゼロ。

ここで経験を積んでプロの道へ。そんな考えを持って毎日励んだ。

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しかし現実はそんなに甘いものではなかった。大阪の吹田市で1人暮らし。関西大学のすぐ近くで過ごした。学生の時は親が家賃など出してくれたが、卒業後はそうもいかない。

今だから言えるが、蕎麦屋・フランス料理・サッカーの家庭教師・サッカーコーチ・明治牛乳の営業・派遣と、この6つのバイトの掛け持ちをしながら、毎日夜は吹田から枚方まで(25km)1時間かけて原付で練習に通っていた。

朝は関大サッカー部の練習に。そんな意気込みで、大学付近に住んで、夜は枚方まで練習に通った。帰りは夜遅くなった。

が、最初は毎朝大学サッカー部の練習、その後急いでバイトに、バイトからバイトに移動し、そこから枚方まで練習に行く毎日だった。

ただ次第に身体が持たず甘える自分がいた。朝の練習も毎日は行かなくなっていた。

バイトに明け暮れる日々。そして所属していたチームもなかなか勝てない。個人も結果が残せない。俺このままでええんかな、と。チームは結局降格が決まった。

・覚悟

そんな時、俺このままじゃあかんなって思って、ある方に相談に行った

大学サッカー部のOBの方で、直接は被っていない(学生時代学年が交わることはなかった)が、その方は海外でプレーされていた。

シーズンオフの期間に僕たちの練習(学生時代の大学の練習)に混じっておられて一度だけお会いして一緒にプレーさせてもらったことがあった。

Facebookで名前を検索して探しだして連絡をした。“お会いしてお話がしたい”と。時間を作ってもらった。

親身に相談に乗ってもらった!自分の中である決意が出来た。”自分を変えたい。このままじゃあかん。サッカーで飯を食う”と。

決意とは裏腹に、それを親父に相談するとまたしても大反対。何を言ってるんだ。と。母は心配してくれたものの、拓夢の人生なら、と後押ししてくれた。

・海外への挑戦と準備

そこから海外に行くと決め、お金を貯めた。

所属チームにも自分の想いを話して、最後までチームに帯同出来ないが良いか確認すると、チームも後押ししてくれ受け入れてくれた

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ビザの手配、飛行機のチケットと出発前日まで準備に明け暮れた。

沢山の人に、頑張ってこい!と応援してもらい、出発の日を迎えた。持ち物はパスポートとサッカーに必要なものと生活用品のみ。

人生初めての海外。行き先はミャンマー🇲🇲!

絶対チャンスをモノにしてくる!といきこんで挑戦へ向け飛び立った。チームが保証されたモノでもなければ、チームを紹介してくれる代理人がいるわけでもない。完全に自分次第。

次回、ミャンマーでの道場破りトライアウトについて。VAMOS!!

たくむ

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西原 拓夢/サッカー選手
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