後悔するなと言われても
皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。
今日は図書館の除籍本をいただいたのでそれを地ら読みしておりました。
タイトルは『自分のための人生』という本です。まあ、いわゆる自己啓発本の一種です。
さて、そこに「今日のエネルギーは今日に注げ!」という章がありました。要は、過去のことを後悔してイジイジするな、未来のことを不安に思ってオドオドするな、ということです。
もちろん、それはその通りで、異論はありません。この本に限らず、その種の主張をしている本は他にもいっぱいあります。ですが、それだけたくさんの本に書かれている、ということはある意味、正論だが実行できない人がたくさんいる、ともいえるかもしれません。
未来のことはさておき、過去についての後悔は、思い起こせばいくらでも出てきます。
もっと勉強しておけばよかった、あの時さぼったから三流高校にいくことになったんだ。はたまた、やっぱりあの時ちゃんと好きな子に告白すべきだったな、とか、直近でもテニスの試合で力を出し切れなかった瞬間についての思いとか、いろいろでてきますよ・・・。
さて、本書ではこういう過去の後悔からどうやったら決別できるか、ということで“クヨクヨ、イジイジをすっぱり断ち切る法”ということで次のように述べています。
ごみを捨てる、タバコを吸う、といった好ましくない行為についても、もしかすると自責の念を覚えさせられる場合があるだろう…中略…そういう下品な行為をしてしまったと自責の念に襲われたりする。やってしまったことに自責の念を覚える代わりに、二度と反社会的な行為はすまい、と簡単に心に決めるようにするのだ。
むう・・・そりゃそうなんだけど、そんな簡単に心に決めることができるなら誰も苦労しないんだよなと思うわけです。
いろいろ思ってみて結局イジイジと過去のことを思うのは、その過去のことを「失敗」と決めつける、つまり、ネガティブな面しか見ないからなんだろうと思うわけです。
仮に過去の行為の選択肢にA・B・Cの3つの選択肢があったとして、迷った挙句にAを選択したとします。しかし、Aが想定していた結果に届かなかった場合、やっぱりBにすればよかった、Cにすればよかった、と思ってしまうわけです・・・B、Cを選択した結果なんてわかりはしないのに。そしてわからないのにAの選択は間違いだった、とネガティブな面しか見ないので後悔してしまうわけです。
ですが、本当にAの選択肢はネガティブなことしかなかったか、そのことを思い返してみるとよいと思います。
もしネガティブな結果が10あったとしたら、その反対に結果的にそれでよかったということが同じ数だけあるはずです。最初はわからないかもしれないですが同じ数を探すのです…すぐに見つからないかもしれませんがそれは訓練するしかありません。
そうすることで、過去のネガティブなイメージはプラスイメージと相殺されて、結果的に後悔をけすことができる、と私は思います。
最初の内はネガティブイメージが先行するかもしれません、でも、ポジティブな面もあるんだと思えば起きた出来事をいつまでも引きずることはやがてなくなる、私はそう思います。
皆さんも経験的にはわかっていると思います…その瞬間はネガティブな出来事でも時間が経てばあれでよかったんだと思えることは多数あると思います。ポジティブな面を考えるということはその時間を短縮させる効果がある、と私は思います。
ということで今日もご一読ありがとうございました。
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