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皆さんこんにちは。『自力開眼』『地力向上』を目指す、能力再生相談所、内匠です。

この年末年始にかけては何だか妙にバタバタした感じがあります。事件がしょっちゅう起きてる気がするんです。それも、何か自分が自棄になって起こしてるようなやつですね。

そうしたのを見てふと先日読んだ記事を思い出しました。

比較されて、負けてしまった人間に救いはあるのか | Books&Apps (tinect.jp)

興味のある方はご覧ください。

部分部分はわかるけれど、難しいなと私は思いました。ただ、最後のほうにあるところ、これはどうなんだろうと思います。

総合的な人間性なんかで評価され、比較され、分別されたら、おれなんか生きる余地がないのよ。
もちろん、金を稼げないというだけで生きる余地も、資格もないのだけれど、その上で、そんなところまで評価されたら、もうなにもないんだよ。そう言いたい。

ここのところ、世の中こういう感じの気分になっているのかな、と思わないでもないです、昨今の事件をみるにつけ。

社会生活の中ではある一定の評価というのはなされるのは仕方ないことかなと思います。実際問題私の会社でも業績+マネジメント能力(=おそらく人間性みたいなもの含めてかな…と試験内容から判断すると)ということで部長に昇格できるかできないかになっています。

ただ、あくまである一定の範囲での話であって、それが人生すべてじゃないんじゃないか、と思ったりもします。

結局、その比較から逃れるためには、自分自身の価値観に沿って生きているか否かを自分自身が分っているかどうか、それしかないんじゃないかとおもうわけです。自分自身の価値観が何かわかって、そしてそれを尊重する生き方さえできれば、他人が自分にどんな評価を与えようと自分の生き方はゆるぎないんじゃないか、誰が何と言おうと関係ない、ということなんじゃないかと思うわけです。

そんなのは一部の有名人、成功者だけの話だろ・・・そう思われる方も多いと思いますが、私はそうとは思いません。たまたま、例えばスポーツ選手とか、プロ経営者、見たいに華やかな結果が出るものがマスメディアに紹介されるから特別だと思ってしまうだけで、表に出てこなくてもそうやって人生を歩んでいる人はきっといると私は思います。

なんにしても、比較して自分を下げる、あるいは比較された結果を真に受けて落ち込んでも仕方ない、というのは間違いないことだろうと思う次第です…自分にそう言い聞かせています。

ということで今日もご一読いただきましてありがとうございました。

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