叫びと祈り
図書館が無くなり、週末本屋が無くなり、雨が降っては公園にもいけず、私の行き先は無くなった。
昨日、今日はまだ京都は晴れていたからよかったものの、その前の曇天の日々は私を鬱々とさせるものだった。やることもない。暇にも飽きた。早くなんでもいいから仕事がしたい。なんならボランティアでもいい。「タスクをくれ」と心の中で何度叫ぼうかと思ったか。でも実際はもう少し暇していたいけれど。
「行くところがない」とは別に、今の私は「話をする人がいない」問題がある。1週間の瞑想コースに行き、誰とも話さない時間を過ごすことは全く苦にならなかった。でも今は誰かと話したいと思っている自分がいる。何が違うのか。目的があるのと無いのの違いなのか。居場所的なものがあるのと無いのの違いなのか。考えたけれどよく分からない。話そうと思えば話せる人はいるのだけれど、連絡をするのにもなんだか躊躇をしてしまう。「ねえ、話さない。寂しくってさ」など。
まあでも実際のところは、話しをしたところでそれは一時の解消であり、根本的には何も変わらないんだよなーと思い返し、日常の生活を行うことと、瞑想に勤しみながら、惰眠を貪る日々なのでした。
そして今、流れ流れて辿り着いた某カフェに居る。手頃なカフェが一つ開いており、私にはまだ行くことができる場所がある。これはなんたる救いだろうか。この場所が、あまり人目につかず、人がそれほど集まらないことを祈るのみ。