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変ないきものと、わたしたち(下)(小説)
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☆ ☆ ☆
キーウィは、コウモリなど夜行性動物が飼育されている獣舎にいた。
室内は薄暗く、展示室内の弱い照明と、看板が微かに放つ光を頼りに進まなくてはならない。
「こわい……やっぱこわい」
「手ぇつないでなさい」
咲姫たちの前を歩く親子連れはぎゃあぎゃあと言いながら奥へとずんずん進んでいく。
「先輩も手ぇつなぎますか」
那由が耳元で囁いた。
「これくらいの暗さなら全然平気だよ」
「いや、怖くはないでしょうけどあちこちぶつかりません?」
「あ痛っ」
「ほら言わんこっちゃない」
那由は咲姫の手を取り、彼女を自分の方に引き寄せた。
「……近いって」
「ほかの動物舎すごい人だったから先に来ましたけど、ここも結構人多いですね」
「え、そういう理由だったの? てっきりさっさと目的のもの見るためだと」
那由は少し不服そうな声色になった。
「私にだって、ゆっくり動物園を楽しもうっていう気持ちはありますよ」
「でも那由はご飯の時、好きなおかずから食べるタイプでしょ?」
「……? 好き嫌いとかじゃなくて、満遍なく食べてますけど」
「あれ、そうだっけ」
コウモリやアナグマ、スローロリスなどの展示室を眺めながら、二人はゆっくり歩を進める。
「コウモリって、果物好きらしいですね」
「へぇ。血吸ってるのかと思ってたけど、可愛いもの食べるんだ」
「それはドラキュラの手下限定でしょ」
「コウモリのフンから硝酸作るって漫画あるよね」
「コウモリに対する知識がまだら過ぎませんか?」
「アナグマとタヌキとアライグマって似てるよね」
「アライグマは尻尾の模様で分かりますよ。シマシマがあるほうがアライグマです」
「へえ」
後輩は展示室の動物たちを見つめながら、淡々と、それでいて少し楽しそうに話していた。
暗くてよくわからないけれど、いつも無駄話をしているときみたく、好奇心で輝いた目をしているんだろう、と咲姫は想像した。
「那由、こういうのにも詳しいんだ」
「動物図鑑を眺めるのが好きな子供だったんで。保育園行くまでは、朝から晩まで読んでたらしいです」
「私はそういうの全然だったなぁ……すごく夢中になったものとか、朝から晩までやってたことって、全然なかったんだよね」
那由は、寂しそうにそう言う咲姫に目線を移した。
「だから、私のこともっと知りたいっていう那由の気持ちに、答えられるかわかんない。知ってもらうような私自身なんて、いないのかもしれないし」
咲姫は那由の手をぎゅっと握った。指先が妙に冷たいように感じる。楽し気に話しながら動物を見るカップルが視界に入り、咲姫は目線を地面に落とす。
「……そんなことないですよ。先輩と話してると面白いですし。なんていうか……目の付け所が独特ですよね」
「……変な人、っていうのを精一杯オブラートに包んだ?」
「だから先輩の生態をもっと知りたいんですよ」
「珍獣扱いされてる? さては」
キーウィの展示室は、獣舎内の真ん中あたり、赤いライトでぼんやり照らされた小部屋の中にあった。部屋の中には樹木が植えられ、ゴロゴロとした大きい石や木の板、水飲み場のようなものがあった。
そっと中を覗き込んだが、肝心のキーウィがどこにいるかよくわからない。
「あ、あれじゃないですか」
那由は咲姫の肩を軽くつつき、展示室の隅っこを指で指し示した。
「あ」
部屋の隅っこに立てかけてある板と壁の隙間に、顔を突っ込んでいる大きな毛むくじゃらのかたまりがいた。
キーウィだ。
キーウィはするりと頭を隙間から引っこ抜き、地面に嘴をつけながらのそのそと歩き始めた。
「でかいな……」
咲姫は半ば呆然としながらそう呟いた。手のひらに収まるサイズのぬいぐるみでしかキーウィの存在を認識していなかったから、当然かもしれない。ネットで調べた情報には体長40センチと書いてあったが、毛がもっさりとしているせいかそれより大きく見える。
「脚はよく見えないな……ぬいぐるみみたいなサイズ感なら相当大きいだろうけど」
「動きも、ほかの鳥とは全然違いますね……あ、近づいてきた」
ずんぐりむっくりした身体に、ぬいぐるみ以上に(あれでもデフォルメされていた)小さく見える頭。薄暗く、目までははっきりと見えないが、細く長い、あの特徴的な嘴ははっきりとわかる。
二人が無言で見つめていると、キーウィは地面に置かれた餌皿の前に向かった。細長い肉片のようなものを嘴で器用につまみ上げたかと思うと、しきりに嘴をパクパクさせる。また皿に嘴を突っ込み、丸呑みする。
「丸吞みしてるんですよ、あれは」
那由は何故か声を潜めてそう言った。
「キーウィに限らず、鳥は歯がないんで、食べ物は基本丸吞みなんですよ」
餌を食べるのに飽きたのか、キーウィは地面に嘴をつけて、再びうろうろし始めた。地面に転がっていた大きめの石と地面の隙間に嘴をつっこんだ。石をひっくり返そうとしているのだろうか……
「嘴、痛くならないのかな……」
「ぬいぐるみの嘴よりも、だいぶ硬そうですよ」
「うん。竹でできたピンセットみたいだよね、あの感じ」
「地面の虫とかをつまんで食べる、それに最適な形ってことですかね」
展示室の前に掲げられた、キーウィについて説明する看板を指差しながら、那由はそう言った。
キーウィが嘴を突っ込むたびに、ふんわりとした毛に覆われたお尻が前後に揺れる。
「いつまでやるんだろうあの動作」
「……満足するまで、とか?」
「餌が取れたら満足なのかなぁ。エサはすぐ後ろのエサ皿にあるのに」
「ああやってゴソゴソ探すのが楽しいとか、案外そういうのかもしれませんね。すぐ食べられるとつまらない、みたいな……」
「……なんか変なことしてるけど、かわいいね、やっぱり」
休日の昼間の動物園。他の客は、キーウィを少し見ると次の動物の展示室へとせわしなく足を向けている。子供がドタドタと走る足音。スマホのカメラのシャッター音。
薄暗いなか、無言で石をひたすらひっくり返しているキーウィを見続ける人は、二人のほかにいない。
ガラスの向こうにいるキーウィと、咲姫たち。そして他の客たち。彼らの間を流れる時間は、全て異なっていた。
☆ ☆ ☆
咲姫と那由は、しばらくしてから夜行性動物舎を出た。眩しい太陽が、闇に慣れた二人を容赦なく刺す。
「……どうでした、先輩」
「暑っついなぁ……どうって、何が?」
「なんでキーウィに惹かれたのか、分かりましたか?」
那由はつないだままの咲姫の手を引き、彼女を日陰へと誘導した。親子連れが水分をとっている横で、二人も立ち止まって水筒の蓋を開ける。
咲姫は黒豆茶を飲むと一つ息を吐いた。
「……キーウィが、想像していた以上に変な鳥だってことは、分かったけどなんで気に入ったかは……言語化するのは、難しいなぁ」
那由は、咲姫の言葉をじっと待っていた。
彼女の目に浮かんでいたのは、答えを知りたいという好奇心ではなくむしろ――咲姫に向けられた、慈愛のような思慕のような、そんな感情だった。
「変な生き物だから、気に入ったのかも……しれないな。よくわからないところが多い、変な鳥だから」
「確かに。よくわからないところがあっても、それはそれで可愛いですし」
「……なんか心なしかニヤニヤしてるけど、今話してるのはキーウィのことだからね?」
その言葉に、那由は口元を一層綻ばせた。こんな顔をしている彼女は珍しい。
「ええもちろん。でも、先輩とキーウィって、私の中では似てますよ」
「……なんか誹謗めいたこと言われてる気がするけど、気のせいかな」
「そんなことないですよ――一息ついたとこですし、他の動物観に行きましょうよ」
那由はいつになく明るく言うと咲姫の手を取り、二人はまた歩き始めた。
それから二人は、動物園を一通り見て回り、帰路についた。
結局那由が望んでいたものを自分は与えられたのか、咲姫にはわからなかった。けれど咲姫はそれからも、那由の部屋にあるキーウィのぬいぐるみを撫でることをやめなかった。
変だと思われてもいい。うまく言えなくてもいい。
少しずつでも、自分が好きだと思ったものを那由に伝えられたら――そう思いながら。
ーー
カバー写真は我が家にあるキーウィのぬいぐるみです。キーウィには形容しがたい魅力がありますよね(とらつぐみ・鵺)