「ヒト・ドリブン」な世界を目指して|DXER株式会社・創業エントリ
こんにちは、DXER(ディクサー)株式会社の向井(@Takuma Mukai)と申します。
6月末に前職を退職致しまして、約1年間程の準備を続けてきたプロジェクトをようやく始動させました。
改めて自分の思考を整理するためにも、創業エントリを残しておこうと思います。
個人的には、以下のような想いを持っている人に読んで頂けると幸いです。
・コロナ禍をキッカケに何か行動を起こそうとしている人
・今いる場所に違和感を感じているが、何から変えれば良いか分からないと悩んでいる人
多少エモめの事もさらけ出しておりますが、このnoteを読んでもらった人が『何か新しい挑戦をしようという勇気』を持ってくれたら嬉しいなと思いながら書いてみました。
少し長文にはなりますが、良かったらぜひ最後までご一読ください。
なぜ創業に至ったのか?
まずは、創業に至った経緯や想いを、『外的要因』と『内的要因』に分けてお伝えします。
『外的要因』
”日本の非効率的な働き方を改革したい”
①平成の失われた30年
このキーワードを聞いた瞬間にチャートが頭に浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
平成生まれの私にとって、この事実を知った時に、非常に悔しい気持ちで胸がいっぱいになったのを鮮明に覚えています。
私が生まれる3年前、バブル絶頂期で日経平均は史上最高値をつけ、世界時価総額ランキングTOP50のうち、32社が日本企業だったそうです。
上図が、平成30年における世界の時価総額ランキングです。
TOP50にランクインしているのは、トヨタ自動車株式会社のみです。
一方で、米国や中国ではGAFAやBATと呼ばれるような世界的IT企業が誕生しています。
この状況に、単純に私は"悔しい"と思いました。
②日本と米国の輸出項目の変化
日米の輸出項目のデータを見ると、日本が世界から取り残されてしまった要因が少し見えてきます。
米国はサービス(IT産業含む)の輸出項目が大幅に増大していますが
日本の産業構造はほとんど変化が見られません。
注:The Atlas of Economic Complexityを元にグラフを作成
これは、日本が製造業における成功体験を抜け出せず、デジタル化による産業改革がうまくできていないのではないか?という仮説を持てます。
③なぜ日本だけガラパゴス状態なのか?
デジタル化の遅れは日本のIT産業における構造体を紐解くとヒントを得られます。
日本ではソフトウェアを利用する企業(ユーザー企業)の多くが、受託開発に相対的に多くの費用を投じており、一方で、米国ではパッケージソフトウェアに投資する割合が多いことが分かります。
クラウドサービスの利用実績の違いにも日米におけるソフトウェアの捉え方が異なることが分かります。
つまり、これが日本のソフトウェア産業において多重下請け構造を生み出している原因になります。
そして、この構造体は、ユーザー企業とベンダー企業の間に、ICT(情報通信技術)人材の偏在を引き起こしています。
ユーザー企業(事業会社)のICT人材がこれほど不足していては、最近バズワードのように注目されているDX(デジタルトランスフォーメーション)が日本で上手く進まなかった理由にも納得がいきます。
”日本の同世代がもっと活躍できる場を創りたい”
直接的な因果関係があるとは断言できませんが、私と同世代の人たちからの話を聞いていると、企業における非効率な業務実態は、若者の働く意欲を削いでしまっているのではないかと思っています。
何でもかんでもデジタル化するのではなく、伝統的な慣習や経緯を重んじる文化は大切です。
しかし、これからの日本を背負っていく若者が、次世代のスキルを身につけていき、社内外で活躍できる環境を整える事は、日本経済を元気にするために、最も重要な成長戦略の1つではないかと思います。(業務環境だけではなく、若者の意識の問題はもちろんあると思うのですが)
自分と同世代で、いわゆる非IT企業の大手企業に就職をした人たちは「仕事が面白くない」とボヤいています。
これまで自分は本当に様々な機会と人に恵まれたおかげで、社会人になってから仕事が面白くないと思った事は1度もありません。
仕事が面白くて仕方がなかった社会人生活を送れてきたという自負があります。
本当に若者の働く意欲は低いのか?そんな疑問を抱えながら、マーケターとしての癖でマクロ的にデータを調べてみました。
上記は、パーソル総合研究所が実施した、APAC就業実態・成長意識調査(2019年)のデータですが、「あなたは、現在の会社で管理職になりたいですか?」という質問に対して、日本人は最下位の21.4%、一方で経済成長が著しいインドやベトナムでは、80%を超えています。
また、自分の成長を目的として行っている勤務先以外での学習や自己啓発活動について教えてください。という設問に対して、「通信教育、Eラーニング」や「副業・兼業」を実施している割合は10%と2桁を下回っています。
人口減少で働き方改革と言われている日本において、若者の状況がこのようでは、日本経済は衰退していく一方ではないと感じました。
私自身、バンガロール(インドのシリコンバレーと呼ばれる場所)やホーチミンに直接訪れた経験があるのですが、確かに現地の人々が放つエネルギーや単純にITサービスの充実度に驚きを隠せませんでした。
このままでは、そう遠くない未来に、東南アジア諸国やインドに日本は抜かれていくのだろうなと肌で感じた瞬間でした。
④追い討ちをかけるように発生した新型コロナウイルス
1年前くらいから、起業するタイミングは2020年6月と決めていたので、偶発的にコロナが重なりました。
退職を告げた時は、周囲からこんなタイミングで起業はやめた方が良いのでは?という心配もされましたが、間違いなく自分たちにとっては追い風が吹いたと思っておりました。
自分でも不思議な感覚なのですが、世界が一気に動く音が聞こえました。
そして、自分たちが描いてきた世界観、価値観に対して、世の中から歩み寄ってきてくれたと思えています。
新型コロナウイルスは、日本のデジタル化の遅れを浮き彫りにし、人々がこれまでの行動様式を強制的に変えなくてはいけない環境を作り出しました。
しかし、緊急事態宣言中でも
・ハンコ承認のためだけに出社を余儀なくされた人
・リモートワーク環境の整備が整っていなかったために、在宅勤務への切り替えに苦労した人
このような経験をした人は日本全国に結構多いのではないでしょうか?
そして、緊急事態宣言解除後の第二波
待ったなしに、もう日本は変わっていかなくてはいけない
自分たちの手で変えていこうと改めて強い想いが芽生えました。
『内的要因』
綺麗事を言っている感じですが、突き詰めていくと、人の動機は原体験に基づいていると思っております。
信頼関係ができていない不特定多数の人たちに対して、自分の原体験をさらけ出すのは、ある種の怖さはありますが、そもそも自分のルーツをさらけ出す事なしに、本気で仕事をし合う事はできないと信じております。
また、これから組織を大きくするためには、DXERという組織はどのような価値観に基づいて生まれてきたのか?を伝えていく事は大切だろうなと思ったので、自分のルーツも残しておこうと思います。
①とあるITスタートアップ社長との出会い
大学受験に失敗した後、浪人生活は送らずに地方国立大学の工学部に入学しました。
自分なりに選んだ道を正解にしようとアメリカ留学をしたり、学生だけでBarを営業してみたりと、当時は手当たり次第、何か新しい事にチャレンジしていました。
留学帰ってきた5回生の時、自分は一体将来何になれば良いのだろうかと就活もせずに、多国籍Barでのアルバイトに明け暮れていました。
色々と自分の話を、とある常連さんにしていた際に、「お前が会った方が良いやつが東京にいる」と、いきなりその場で電話をかけて、私は東京のとあるスタートアップの社長に急遽会いに行ける事になります。
何かヒントを掴まないとと考えていた私は、1週間もしないうちに東京に行く事を決断しました。
ただの大学生相手に、その方は貴重な時間を割いて下さいました。
ランチを食べながら、私の悩みを聞いてくださり、ご自身の話を沢山して下さいました。
こんなにエネルギーに溢れている人が世の中には存在するのか、と当時の私は度肝を抜かれていました。
そして、藁にもすがる思いで、帰り際の駅のプラットフォームで「僕は何をすれば良いのでしょか?」と切り出してみました。
そうすると、「私だったら、東京に早く出てくるためにスタートアップでインターンをする」と答えてくれました。
「えっ、僕静岡に一応住んでいて卒業研究もしないといけないんですけど?」と恐る恐る切り返してみると
「別に新幹線があるんだから週1で帰れば良いし、シェアハウスでも借りれば良いんじゃなない?」と私が考えつきもしなかった破天荒なソリューションを提案してくださいました。
私も「確かに物理的に実現できるっちゃできるな」と納得をして、そこから東京でのインターンシップ計画を立てる事になります。
当たり前ですが、大学生なのでお金はそんなになかったので、家賃3万円ドミトリーのボロボロシェアハウスを借りました。
海外の人も沢山いたので、英語力を落とさない、という目的のためにも、結構良い環境だったとは思います。
インターンといっても、スタートアップだったので、時給は普通に居酒屋とかでバイトをしている方が稼げました。
週1での静岡と東京を往復するための新幹線代、そして2重家賃と生活としては"大赤字"だったのを覚えています。
貯金を何とか切り崩してやりくりをしていましたが、当時はそれほど学びの環境に飢えていたのだなと思います。
思い返すと、スタートアップでのインターン経験と出会いがなかったら、新卒で楽天にもいっていなかっただろうし、ましてや外資系のHubSpotで採用もしてもらえなかっただろうなと確信しています。
仕事が面白くない・・・とボヤいてる人生を送っていたかもしれません。
そんな機会を与えてれた人に、私はインターンをしていた時にお礼を言いに伺おうと、アポを頂いていました。
しかし、仕事に追われ、アポの時間に遅れてしまうことが分かり、謝罪のご連絡を入れました。
すると、「それはいけないね。もっとイケてる社会人になったら、また会いにおいで」と当時の私にとっては、彼女に振られた時くらいのショックを受けました。
自分が情けなくて仕方がなくなりました。
その後も、何度かご連絡をしてお礼を言いにいこうとするも、その方は東証マザース上場、そして東証1部へとどんどん遠くにいってしまいました。
その人にお礼を言える機会を掴みたくて、いつしか経営者を目指すようになっていたと思います。
②育ての父親の交通事故死
私が25歳の頃に、突然事件は起きました。
生きていれば、楽しい事、辛い事と様々な事が起こると思うのですが、この時は、神様も本当にどれだけドラマをぶっ込んでくるのだと思いました。
普段通り仕事をしていた夕方頃の連絡だったと思います。
電話なんて直接してこない叔母からの一報でした。
「お父さん、トラック事故で亡くならはったんや」
頭の中で、すぐには理解できませんでした。
「向井」という姓は、育ての親の姓で、両親は既に離婚しており、私だけが父親の養子縁組の戸籍に残っている状態でした。
連絡は時々取っているような状態で、年に数回は会いに行っていました。
幼少期は、この父親の借金で苦しめられていました。
正直に言うと、自分の人生をなんで親に苦しめられなくてはいけないのか?と一時期は憎んでいました。
こんな父親にはなりたくないという反骨精神で、自分は貧乏のままでいたくない、人生絶対に這い上がってやると思っていました。
しかし、血縁関係はない自分を本当の息子のように育ててくれたのは間違いありません。
お金にはだらしない父親ですが、子供に対して注ぐ愛は、自分が大人になった後に気がつきました。
留学に行く前は、家を一度引き払って家具をどこかに置いておかなくてはいけなかったので、そんなにお金もないはずなのに、わざわざ2つ部屋のあるアパートを借りて、私の荷物だけを置いてくれたり、京都から静岡まで引越しを手伝いにきてくれたりしました。
自分が子供の頃も、よく一緒に遊んでくれた記憶が沢山ありました。
最後に会ったのは、社会人1年目に大阪から東京へ引っ越す直前のタイミングでした。
その時、初めて社会人になり、お酒を一緒に飲みに行ったのを覚えています。
「社会人としては全く尊敬していないが、1人の父親としては本気で尊敬している。今まで、本当の息子ではない自分に対して、本物の親の愛を注いでくれてありがとう。」
と直接伝える事ができました。
初めて父親が感動して泣いている姿を見ました。
その後に、一緒にBarに行ったのですが、ずっとマスターに、「こいつは俺の自慢の息子で、自分と違って本当に出来たやつやねん」と子供のように喜んでいました。
この時、少しは親孝行できたのかなと思えた瞬間でした。
そこから忙しくなり半年以上会いにいけなかった事での出来事でした。
・人生で初めて務めた早すぎた喪主
・棺の前で悔しさのあまり何も言葉が出なかった
そして、父親が貴重品などを入れていたベッドの引き出しの中からは、自分が幼稚園の時に父親に書いた手紙が見つかりました。
こんなもの今でも取って大切にしていたのかと、涙が止まりませんでした。
自分に無償の愛を注いでくれたいた人を失ったのだと思いました。
父親と母親は若くして結婚したので、20歳の頃には、小さな自分の面倒を見るために、大学も行かず、20代前半の人生を犠牲にしてまで、自分に時間を注いでくれていた事に、改めて感謝の気持ちが溢れました。
そして、かけがえのない人生を1秒たりとも無駄にしないと自分に誓いました。
自分にとって、この出来事をどんな意義に変えていくのか?
そう考えていくと、自分の幸福だけではなく、誰かの人生も幸福にできる、助けられる力が欲しいと思いました。
父親の死から、約3年という月日が経過しましたが、それからの人生、取り憑かれたように仕事に没頭できたのは、この出来事があったおかげだと思います。
良い大学を出たわけでもなく、天才的な頭脳を持っているわけでない、至って平凡な自分がどうすれば良いのか?
考え抜いた答えは、覚悟と信念を持って、突き進んでいくしかない、というものでした。
自分の生き方、想い、こう在りたいという願いを伝染させていく。
そして、他人の人生に良い変化をもたらす事ができる人、そんな人を世の中に増やしていきたい。
と思うようになりました。
それは、自分がこれまで様々な人からもらってきたモノだったから。
自然と「起業」という道以外に、目標は達成できないんだろうなと思うようになりました。
何かを変える時、大切なのは、圧倒的な熱量だ、そのように考えています。
どうやって解決するのか?
さて、個人的なエピソードを少し語りすぎてしまったのですが、話を本題に戻していきます。
日本のデジタル化の遅れを、「組織」と「個人」の2つの切り口で課題を考察してみましたが
どうやって解決してくのか?
私たちは、「ヒト・ドリブン」というコンセプトを用いて、解決をしようと考えています。
①「Company」から「Community」の社会への転換
コロナがきっかけで増えたリモートワークは、仕事に対する成果物を可視化させたと言えるでしょう。
これまでは、上司との付き合いや会社に長時間入れば評価されるというような風潮があった企業もあると思います。
しかし、リモートワークにおいては、労働しているプロセスが見えずらくなってしまうため、どうしても最終的なアウトプットで評価をする比重を大きくしなくてはいけません。
つまり従来のようなメンバーシップ型雇用ではなく、ジョブ型雇用が適しています。
企業の中で、ジョブ型の雇用形態が主流になっていけば、正社員ではなく、業務委託やフリーランスといった非正規雇用が増えていくる世の中になっていくでしょう。
私自身も、サラリーマンを続けながら、副業を3年間ほど続けてきました。
最初は個人事業主から、そして次第に法人化して運営していました。
DXER株式会社は厳密に言うと、私にとっては2社目の創業という事になります。
本業で学んだ事を副業でアウトプットする、また副業で学んだ事を本業でアウトプットする。
この方法により、個人は成長速度を加速させられますし、組織も社内に不足しているスキルを簡単に補う事ができます。
組織・個人の両方にとって、今の日本が抱えている課題を解決できる1つの方法になり得ると思います。
②コロナが変えたの「テクノロジー」ではなく「人々の行動様式」
2016年5月20日には、政府の閣議決定で、リモートワークによるワークライフバランスの推進が掲げられています。
しかし様々な慣習や理由により、その選択肢を誰も自発的に取れなかった事がリモートワークが普及しづらかった根本の原因だと思います。
私自身も、とりあえずオフィスに行かなくては「アイツは仕事をしていないんじゃないか?」と後ろ指を指されるのでは思い、オフィスにはずっと行っていました。
コロナによって半強制的に全員がリモートワークが求められたので、人々の価値観が大きく変化しました。
③コロナが創り出した2つのモノ
個人:既にリモートワークを実施している人は気づいているかもしれませんが、リモートワークを実施すると、暇な時間が大量に発生します。
それは、これまで出勤に要していた時間や何となく職場の人たちとのコミュニケーションするために使用していた時間です。
生み出された余剰時間で、何をするのか?という選択権を与えられたと言っても良いでしょう。
企業:企業はリモートワーク環境を構築するために、テレビ会議ツールやコミュニケーションツールの整備が求められます。
また、紙などのアナログな媒体では情報のやりとりに遅延が発生するため、クラウドツールの導入、整備などが求められました。
今後、職場環境はオンラインに移行する流れは加速していくと思われます。
④クラウドシフトが生み出す「新たなスキル」
企業のクラウドシフトが加速するという事は、組織間において共通のシステムが構築される事を意味します。
例えば、Gsuiteを組織体制に合わせて適切な運用方法を設計する、などといった組織側のニーズは今後増えてくるだろうと思います。
すなわち、クラウドツールを組織の文化や組織内にいる人たちの価値観やスキルに合わせて、適切にインテグレーションできる人の価値が圧倒的に需要が増すと思います。
これは、人が組織間を横断することで、社会全体のDXがさらに加速させられる事を意味すると私たちは考えています。
このコンセプトを、私たちは「ヒト・ドリブン」と呼ぶことにしました。
これまで、『競争』にばかり意識が向いてしまっていた価値観を、『共創』に向けていかなくてはいけないのではないか?と考えています。
何で解決するのか?
①組織のDX化
リモートワークで増加した個人の可処分時間をスキルを必要とする組織に循環させます。具体的には、プロフェッショナル人材のマッチングを実施していく事業です。
1つの組織(Company)に埋もれていた才能や情熱、彼らの可能性を最大限に引き出す機会を創り出す事が、私たちのミッションだと考えています。
現在は、β版の構築が完了した段階です。気になる方は、是非ともWebサイトよりご連絡を頂ければと思います。
②個人のDX化
プロフェッショナル人材を循環させるだけでは、日本におけるDX人材不足を解消できません。
これまで、非IT企業に在籍していた人材をDX人材へ引き上げていく事も必須だと思っております。
まだまだ、事業構想は練っていく必要がありますが、これまで自分が先人に教えていただいてきた知識や手法をYoutubeチャンネル(近日公開予定)で発信していきます。
そして、実際にスキルを習得をするためには、学ぶだけではなく現場で手を動かしながら習得していく必要があります。
プロジェクトに関わる中で、未経験でも学ぶ意欲がある人たちを実際に現場に関われる機会を創り出したいと考えています。
③SaaSを一元管理することで新しい働き方を支援するプラットフォーム
システムの構想とβ版は完成しつつありますが、まだ世の中に出せるものではないですが、今後もっとも力を入れていきたいと思っている事業です。
先述致しましたが、企業として、Community型を目指すのであれば、雇用形態をメンバーシップ型からジョブ型に転換していく必要があります。
また、ジョブ型でリモートワーク環境を構築するのであれば、情報の非対称性を極限まで削減し、自律駆動型の組織を目指す事になります。
つまり、クラウドツール、SaaSを組織内で適切にインテグレーションしなくてはなりません。
このSaaSを一元管理するプラットフォームが必要になってきます。
現在、エンジニアを大募集中ですので、気になる方は、ご連絡をくださいませ。
DXERにかけた想い
①掲げるミッション:世界を「ヒト・ドリブン」にする
自分たちが成し遂げたい世界観を誰にでも理解してもらいやすく一言で表現するためには?という問いに対して、関わってくれているメンバー全員で考え抜いた一文です。
今のメンバーも副業/兼業というスタイルで、十数名がDXERの価値観に共感し、貴重な時間を割いてくれています。
「ヒト・ドリブン」な世界を作り上げるためには、自分たちはどんな組織でなくてはいけないのか?そんな社会実験を、これから挑戦し続けていきたいと思っています。
②ビジョン:あらゆるヒトに挑戦という幸福を
いつの時代も世界を動かすのは「ヒト」自身です。ヒトが挑戦を続けていく限り、この世界は良い方向に変わっていくはずだと思います。
テクノロジーは、その挑戦をするために私たちに与えられた道具に過ぎません。
その道具の正しい使い方を広げていく事が、ヒトに挑戦する機会を生み出してくれるのではないか?という想いから着想したビジョンです。
③「ミッション」と「ビジョン」を実現するカルチャー
DXERは、まだまだ創業間もないフェーズですが、組織のカルチャーを定義し、これから関わる人たちと一緒にアップデートしたい想いから、5つのカルチャーを明文化させました。
https://dxer.co.jp/company/culture
その中でも、2つのカルチャーをここでは、ご紹介させて頂きたいと思います。
Give First
自己の利益を考えずに、他人に何かを与えるという行為は、この資本主義の世界において大変難しい事です。しかし、情報やサービスがコモディティ化していっている現代において、この姿勢を貫ける人が、何か大きなモノを得られる世の中になってきているのではないかと思います。自己の利益を考えずに、他人に何かを与えるという行為は、この資本主義の世界において大変難しい事です。しかし、情報やサービスがコモディティ化していっている現代において、この姿勢を貫ける人が、何か大きなモノを得られる世の中になってきているのではないかと思います。
Learn Forever
何かを与えられる側に立つという事は、他人が必要としている何かを持っている必要があります。それは、ただ日常を何となく生きているだけでは得られません。人の一生は短いという事を理解し、一生学び続ける姿勢を持たなくてはいけません。
創業に至ったものの、まだまだ価値観や進むべき方向性が固まったという段階に過ぎません。 これから加速をさせていき、しっかりと社会に価値を還元できる事業を作っていきたいと思います。
「何をやっている?」よりも「なぜやっている?」を突き詰めていけるチームになりたかったので、事業開発と共に自分たちが目指す世界と価値観を作ってきました。
これから掲げた想いを曲げずに、様々なステークホルダーの皆様に価値を還元し続けられるような企業に成長していきたいと考えている所存でございます。
そして、最後に自戒の念を込めて、「人生は短い、学び続けろ」。
この言葉を自らに言い聞かせながら、前に進み続けていこうと思います。
最後まで読んで下さってありがとうございます。
何か新しい発見や学びを得ていただけるようなコンテンツを、これからも発信していければと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。