記事の中で句点(。)を一回しか使わずに書いたら何か起こるのではないかと、
急に思い立って、書き始めているわけでありますが、どうなるか私にもわからず、ご一緒に行く末を見守ってほしい気持ちもあって、お読み頂いているあなたにはほんと読みにくくて申し訳ないんですが、一度、まあ、お付き合い頂きたく存じ、この時点で結構楽しんでいるわけでありますが、そもそも、こう書こうと思ったきっかけというか、思いついた元はなにかといいますと、鬱の接し方についての記事を書いておりまして、遅々として進まず、なぜかと考えましたら、いつもの考えすぎの癖が出ていることに気づき、自分で気づかぬうちに変に自分を縛り、書くこともままならない状態に陥らせていたようでして、これも鬱のひとつの現れかしらんと一人ごち、だったら逆にもっと縛ってみたらどうかという思いも湧いてきて、というのは今考えついたことではありますが、ここまでやってみた感覚を申し上げますと、あえて縛ることの意義はやはりあって、自由すぎることからの解放と言いますか、例えばラッパーが歌詞の中で韻を踏むと思うのですが、あれもあえて、語尾を同じ母音で揃えるという縛りを自ら課しているわけで、その上で、上手い、と唸らせるものを書き上げているわけでありまして、それと似ているのではないかと今思いついた次第で、さて、読み返してみるとやはり読みにくいことこの上ないようなので、どうしよう、ちょっと改行はお許しいただきましょうか、
話を戻すと、鬱の時の書き方ですが、自由すぎて、何をどうすればいいのかわからないというのも一つの辛さでありまして、
というのは私は今仕事をほとんどしておらず、時間を持て余しているわけでありますので、記事を書く時間というのも無限にあるようなものでございまして、
自由すぎる環境が、執筆の進まない一つの原因でもありそうで、今、こうやって読んでいただいているあなたには申し訳なく、駄文を書き散らかさして頂いているわけでありますが、なんと不思議なことに、どんどんと筆が進むではありせんか、というのがここまで書いてみた感触であり、むしろクセになりそうな予感すらあって、驚いているのですが、本来の内容にはほとんど入っていっていかないし、改行してみて少しでも読みやすくと魂胆を発したにも関わらず、それもままならないほど、ずんずん進んでおりますが、この読みにくい感じはお許し頂いて、洪水のように言葉をここに流し込むための方法論としては、かなりいい線をいっているようでございまして、まだ続けるわけなんですけれど、いかがでしょうかね、もうしんどいでしょうか、構わず続けますと、さて、自由を縛ったことで書けるようになって、嬉しいということの次ですね、
今読み返してみると、ちょっとなんだろう、普段の私とは全然ちがうような個性が発露しているというか、少し間違うと、気でも触れたかのような文章になっていることに気づき、自制しようという気持ちも湧いてくるが、無意味だとも思い、構わず続けることにしますが、要は、これが、寸分の狂いもない、私の今の心の状態である気がしていて、面白い気持ちが湧いてきているのですが、それはどんなものかというと、という部分を書くのは野暮でありましてね、文章をまるまる読み取って頂きたいのでございまして、さらに続きを書くことにしますが、
今、書きながら躁のような状態が滲み出てきているような気がしてまして、これは結構な大発見でありまして、今朝の感じだと、鬱っぽさはましかなあ、なんて考えつつ、散歩などして参ったのですが、やはりまだ頭の血流の滞りはあって、ややもすると、暗い感じがもたげてくるので、鬱明けにはまだ遠いのかしらん、なんて呟いていた矢先、この馬鹿げた書き方を閃いて実行に移しているわけでありますが、文章の勢いに釣られて、躁が顔を出してきたではありませんか、という発見に今まさに対峙しているわけでございまして、確かに文章というのは不思議な力を持っておりまして、読んでいて感染してしまうように、頭の根っこごとゆっくりとすげ替えられるような感覚があって楽しかったり、書くほうとしましても、こうやって、自分が書いているにも関わらず、そこから大いに影響され、鬱がどこかにいってしまうほど、心の状態まで変え得るという特性は、驚くべきものでありまして、今回は、この発見をこの場でできたというのがなによりも収穫であり、もう十分なような気もしてきましたので、そろそろ幕を下そうかと思う反面、面白いので続けたい気持ちもありますが、さすがに、息つく間もないようなこんな駄文にお付き合い頂いたあなたに申し訳ないので、次回にそのお楽しみは譲りつつ、このあたりでお開きとさせて頂きます。