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【表現評論】あざらしそふと「アマカノ2」から考えるゲームへの向き合い方

はじめに

あざらしそふと「アマカノ2」をクリアしました。まともにシナリオを読んだのは黒姫結灯ゆうひルートのみであることをご了承ください。

以前アマナツのレビューをした際に、アマカノ2をプレイしようと思っていると書きました。ゲームの方向性としてはどちらも若者の青春物語であるものの、細かな部分で違いがありました。

アマカノ2の原画のピロ水の絵柄が好みでしたので、それだけでお金を払う価値はあったと思います。絵を動かすe-moteはアマナツの方が後に発売されたこともあって滑らかだったと思いますが、アマカノ2のe-moteに特に不満があるわけではありません。シナリオの味が薄いように思ったのは、アマカノ2もアマナツも同様です。アマカノ2の良い点でもあり悪い点でもあることとして、アマナツとは異なりサブキャラとの交流がかなり少ないことが挙げられます。アマナツは個別ルート全体的にサブキャラが光っていましたが、アマカノ2はゲーム全体的にサブキャラはほとんど背景と同化しており(立ち絵すらない)、ヒロインと深く向き合うことはできるものの周囲も含めた人間模様がないことで奥行きはなくなっているように思いました。余談ですが、ピロ水の絵柄が好きだったことが、版画展に足を運んだ理由でもあります。

率直に申し上げてこのゲーム(より正確には結灯ルート)のシナリオがあっけなく終わったことにかなり不満を抱いていますが、今回はアマカノ2の内容について書きたいのではありません。

レビューする動機をいつ形成するか

これまでラムネーションとハミダシクリエイティブのレビューをしてきました。

これらのゲームはあらかじめ「レビューをしよう」と決めてからゲームをプレイし、録画し、記事を書きました。一方でアマカノ2やアマナツをプレイしたときはレビューするかどうかについて考えることはなく、プレイを終えてからレビューしようと思い立ちました。

私の経験から、あらかじめレビューするかどうかを考えておくことは、ゲームへの向き合い方そのものや、そのレビューにおいて自分が何を表現したいのかという考えの形成に大きく影響するのではないかと思います。あらかじめレビューをすると決めている場合は一文一文をきちんと目で読んだり自分で声に出したりして、その場で感想を言いながら自分の考えを整理することができます。また、単にゲームの内容について考えるだけではなく、別のテーマを設定することでレビューが思わぬ方向にいくこともあり、その偶然性を楽しむこともできます。たとえばラムネーションはゲームの内容はほとんど何もないと言って差し支えありませんが、そこでなされている表現に着目するというテーマを設定することで、単にプレイするよりもずっと楽しくラムネーションのレビューをすることができました。

アマカノ2は特に目的なくプレイを始めて、クリアしたときにゲームについて何も言うことがないことにがっかりしてしまい、でもそのがっかりを何かしらの形で昇華しようと思いこの記事を書くことにしました。ノベルゲームの感想やレビューの記事は数多くありますが、ゲームの内容やテーマ(特に哲学や思想に関するものであるとき)に対する意見以外を読みたいと思うことが多くあります。私は作品の内容を理解したいと思ってゲームをプレイしたり記事を読んだりするのではありません。「あなた」がどう思ったのかに興味があります。また私が何か作品をレビューする機会があれば「私」はどう思ったのか、そういった個人的なものが出るような記事を書きたいと思っています。

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