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【表現評論】WhitePowder「LAMUNATION!」コアレビュー Part 12 全体的な感想

ゲームとしてみたラムネーション

ラムネーションをレビューしてきたが、ノベルゲームとしては高い評価を得られないのは確かである。エロ要素に重きを置かれていないし、シナリオには中身がない。キャラゲーとしてみても、結局のところヒロインどうしのかけあいに面白さがあるのであって(面白いとはいっていない)、キャラクター単体の魅力はあまりない。また、Steam版は改善されているかもしれないがオリジナル版のUIはあまり力が入っておらず、セーブをするときなどにWindowsの既定のポップアップが出てくるところはなんとかしてほしいと思った。要するにゲームをよくする要素として思いつくものの中で標準以上の評価ができる項目が少なく、全体として点数が下がってしまうのだ。
ゲームとしてのラムネーションの個人的な見解は、世間的な評価とほとんど同じで、高得点をつけられないし、誰かにおすすめしようとも思わない。Steamでの定価が1320円と安いのは魅力のひとつであるといっても、他のゲームでもFANZAやDLSiteで500円セールなどが開催されることも多いため、よほどラムネーションに興味がある人以外は買わないのは十分に理解できる(この記事を投稿した時点ではSteamで80%引きのセールをやっている)。

表現としてみたラムネーション

一方でゲームより広い概念として、表現としてのラムネーションを考える。この観点では、他のゲームではあまり見られない、ラムネーションに特徴的であるところについて考える。

万人受けしないシナリオ

エロが目的の抜きゲーや、キャラを愛でることが目的のキャラゲー・イチャラブゲーは、実際のところシナリオが作りこまれていなくても問題ない。サキュバスと同棲生活をするとか、不登校のヒロインたちと仲良くなるとか、そのようなコンセプトひとつあればゲームの骨格は定まる。対してラムネーションは「頭を空っぽにして楽しめる」ことがコンセプトになってるようだが、実際に頭を空っぽにしてプレイしても意味がわからない会話をずっと読まされるだけであり、楽しむことは困難である。楽しもうと思えばボイスをオフにしてBGMだけを聴くという方法になるだろう(BGM鑑賞機能がないのはちょっと擁護できない)。コンセプトがコンセプトとして成立していないことでかえって違う楽しみ方を要求される。

ラムネーションのシナリオは中身がないし、当時の時事ネタがたくさん使われていることから、現在プレイしても元ネタがわからないからただすべっているだけであり、万人受けする要素がまったくない。そのような半分オナニー作品を世に出せることにまず賞賛を送りたい。正直、自分がシナリオライターだったらこのシナリオは同人作品としても恥ずかしくて提出できない。それでもラムネーションという表現物を完成させたことは素直に感心している。
そもそも万人受けする=世間的に高く評価されることは私としてはまったく重要でない。私がどのように思い、感じ、評価するかだけが意味を持つ。あなたがラムネーションにどのような評価をするかは私にとっては意味を持たない。

設定や展開の意味不明さ

ラムネーションの舞台であるセントアリアはRMCという企業が支配していることはゲーム冒頭で示されるが、この設定があることで都合のよい展開がすべて認められている。たとえばアイリス/レイラルートとらむねルートで希望島B級グルメコンテストにいきなり出場できるようになったことはその典型である。そもそも抽選→出場という設定にしたからこのような展開にする必要があったのであって、抽選を経ずに予選→本戦であればRMCの関与なくストーリーを作れたはずだ。陽菜ルートではRMCの裏側を垣間見ることはできるものの、ルートそのものにはRMCはほとんど関与せず、単なる背景と同じである。設定を用意してもそれをフル活用するわけでもなく、超展開の言い訳としての道具になってしまっている。
しかし、考えてみればすべてのものに意味や理由を見出すのは現実世界には適用しにくい、フィクションの世界の暗黙のルールなのではないだろうか。いわゆるチェーホフの銃(ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけないという思想)を重視しないからといって、いちプレイヤーがゲームやドラマなどの表現物に抱く印象が悪くなるとは思えない。そのような学術的な評論は私のテリトリーではない。たとえば文学の賞はそのような技術的な部分を評価するのが仕事なのかもしれないが、しばしばそれは文学関係者以外からは理解不能な理路になっている。

がにまた「彼女が時計を奪わなければ」
ミステリとして大きな穴はないが、過去の出来事の謎を現在から振り返って解明する構成を含め、設定がどうしても浅倉秋成の『六人の嘘つきな大学生』を連想させてしまうので損をしている。ネタバレと言っていい題名、真面目につけたとは思えないペンネーム、ともに減点対象。

宮ヶ瀬水「海中館のタロット探し」
過去にも応募歴があるが、毎回まったく新しい作品で挑んでくる姿勢は評価する。今回は海中の館という舞台が特徴であり、その奇妙な館を現代日本で成立させるために予算や検査対応などを工夫した点にも好感を抱いた(だがその工夫が部分的なものにとどまり、結果として館の作り方が選考時にマイナス点としてカウントされた)。また、舞台がいくぶん個性的な点を除くと、全体としては典型的なクローズドサークルものであり、新鮮さに欠けたことも敗因。特に後者が致命的だった。犯人特定のロジックは高評価だったので、それをいかに新鮮なかたちで活かすかが重要になる。

第70回江戸川乱歩賞の講評(太字はKogawaによる)

専門家は専門家のやり方で作品を評価すればよい。私たちのような非専門家はまた別のやり方で作品を評価すればよいのである。少なくとも、ラムネーションは私がレビューすると面白いと思ったのだから、専門家からみれば意味のわからない理由で評価したのであってもかまわない。

さいごに

全体的な感想とはいえ、あまりレビューのまとめの体をなしていないのは許してほしい。ノベルゲームはストーリーや演出そのものを売りにしていることから、多くのゲームブランドはプレイ動画や生放送に後ろ向きである。ゲーム制作側がそのような意向を持つことは理解するものの、個人的にはプレイ動画などによる売り上げ機会損失は(ゼロとはいえないが)それほどないのではないかと思っている。ゲームに限らず、本や映画のあらすじだけわかればいいという人は今でもまとめサイトや動画を観て満足しているだろう。この人たちは最初から潜在的な顧客ですらない。あらすじを知ることとゲーム体験をすることには埋められない差があるのだが、ゲーム制作側はそのことをあまり考えていないのだろうか。先生が黒板に書いた定理の証明を眺めているだけでは身につかないのと似ていると思うのだが。
これを読んだみなさんがもし興味を持ったのであれば、ラムネーションやノベルゲームでなくても、ゲームなどの表現物に自らお金を払って体験してほしい。ここまでスクリーンショットとともにストーリーを概観したが、みなさんはラムネーションの音楽について何も知らないはずである。私を含めて、誰かの感想はその人の感想にすぎず、あなたがどう思うかはあなたが体験しない限りわからない。ゲームは音楽まで含めて作品であるし、本は表紙や紙の手触りまで含めて作品である。

(おまけ)今後もコアレビューをするのか

未定であるが、ゲームブランドの配信ガイドラインなどを考慮したレビューのやりやすさをふまえた候補としては
・アニメ「スマイルプリキュア」
・August「夜明け前より瑠璃色な -Brighter than dawning blue-」
・Leaf「WHITE ALBUM 2」
がある。ラムネーションの実況動画や生放送を投稿するかもしれない。気分で決めます。

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