【表現評論】ノベルゲームのレーティングについて
はじめに
現在私は表現評論活動の一環として、ハミダシクリエイティブの実況プレイを行い、YouTubeで公開している。
これまでノベルゲームは10本程度しか遊んでおらず、この分野にそれほど詳しいわけではない。20-30年前くらいであればノベルゲーム≒エロゲーであり、エロゲーが後ほど全年齢化されて家庭用ゲーム機に移植されることが多かったように思う。最近ははじめから家庭用ゲーム機やPC向けとして、R18ではなく全年齢版を開発する作品も増えているように感じている。
それでもまだ日本国内におけるノベルゲームの主戦場はR18ではないだろうか。海外展開を視野に入れる場合はSteamでも販売できるように全年齢化したり、全年齢用のサブブランドを立ち上げているケースもみられる。たとえばR18のLeafに全年齢のAQUAPLUS、R18のAUGUSTに全年齢のARIAなどがある。
ノベルゲームを遊んでいると、何のためにレーティングを設けているのか、そもそも(ノベルゲームに限らず)表現にレーティングが必要なのかが疑問として浮かんできた。ここではその疑問に対する自分なりの見解を整理する。レーティングは細かく分けることも可能であるが、差し当たってR18と全年齢(CERO B・C・Dなどを含む)の2つのみに区切ることとする。
レーティングと表現との関係
たまに「R18でしかできない表現があるのに、エロゲーを遊んでエロシーンをスキップするのはおかしい」のような意見を目にする(私はスキップする派である)。言っていることはわかるが、本来はおかしいようにも思う。先にR18のゲームを作ると決めてから内容を考えるのと、先にゲームを作ってから後で適当なレーティングを考えるのと、どちらがノベルゲーム開発の実情なのであろうか。おそらくブランドの価値を毀損しないことが優先順位として高いから、レーティングを先に決めているような気はする。基本的にはR18専門のブランドと全年齢専門のブランドが分かれており、Keyやsprite、CIRCUSは例外的にブランド内にR18と全年齢が両立している。また、R18の開発から手を引いて全年齢にシフトするパターンもある。先述のKeyやspriteはこれに当てはまる。たとえばLaplacianは「白昼夢の青写真」をSteamで展開するのに前後して、ホームページをリニューアルして過去のR18の作品の痕跡を消している(R18のダウンロード販売は継続している)。
ノベルゲームにおいてR18にしかできない表現と言えば、ほとんどの場合は性的な表現を指している。少なくないノベルゲーマーは性的な表現を求めているのだと推測する。しかし時間をかけて作ったR18のゲームが全年齢化されるということは、その「R18でしかできない表現」というものにゲームの本質的な部分、具体的にはシナリオ上で意味のあるものはないと判断されていることを示唆するものであると思う。たとえば、私が観ていたマンガ原作のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」には、直接的には描かれていないが、どう考えても同衾および性行為を行ったとしか思えない描写があった。しかし、そこで重要なのは主人公たちの仲が深まったという結果や性行為してもよいと思えるようになった過程であって、性行為の内容はストーリーに何の影響も与えない。
これは、多くのノベルゲームにも同じことが言えるのではないかと私は考えている。たとえばKeyのノベルゲーム「AIR」は名作として語り継がれているが、元々はR18であった。私は中古で購入したR18版を遊び、その性的な表現の不必要さに驚いた。申し訳程度に性行為が描かれ、しかも行為中にストーリーの解釈に有用なセリフは一切なく、商業的な理由でR18として制作したとしか思えずにがっかりしてしまった。「AIR」の評価で性的な表現に言及するものはまず見当たらず、オープニングやシナリオが主に取り上げられている。現在広く認知されているのが全年齢版であることを考慮しても、発売当時にはR18である良さ(や必要性)はあったのかもしれないが、今となってはR18を選択する理由はない。
レーティングはR18であっても、シナリオを読むだけではレーティングを設定するほどの性的な表現が登場しないゲームとして、Loseの「まいてつLast Run!!」(以下、まいてつLR)が挙げられる。性的な表現はすべておまけモードにまとめられており、ゲームの進行状況によってシーンが解放される。私にはこのシステムはよく合っていた。まいてつLRはおまけモードがかなり充実していることは認めるものの、シナリオとは無関係なシチュエーションのおまけも多く、おまけモードの内容がシナリオの評価に与える影響はほとんど無視できると考えている。
いくつかのゲームには、レーティングを設定する理由となりうるシーンを自動でスキップするオプションが用意されている。このようなオプションがなくてもプレイヤーが任意でスキップできることを考慮すると、わざわざオプションを用意するほどのニーズが陰に陽に存在するものと思われる。
いわゆる抜きゲーは性的な表現が最も重要であり、性的な表現を除外してゲームに触れても何の意味もない。私が知っているものでいえば、ユニゾンシフトの「Chu×Chuアイドる」が挙げられる。
ここまでR18のレーティングが設定されたゲームをいくつか見てきた。個人的には、抜きゲー以外についてはR18の表現が必要でなかったりそれほど有効でなかったりするように思う。
レーティングの意義
たばこやお酒をたしなめる年齢は法律で定められている。なぜその年齢に設定されたのかを説明することは意外に困難であると思う(成人年齢と一致しなくなったことに留意せよ)が、子どもが使用すると健康上の懸念があるという、もっともらしい説明をすることができる。一方で、レーティングを設定したゲームを、レーティングの対象から外れた人が遊ぶことがダメだとして、法律や条例でそのように要請されているからというようなものではなく、プレイヤーに何らかの不利益や悪影響があるなどともっともらしい理由を述べることはできるのだろうか。
最近のライトノベルやマンガには、それなりに過激な表現が含まれているものも少なくないと感じている。私が好きなマンガである板倉梓『瓜を破る』には、過激ではないとはいえ性行為が描写されているにもかかわらず書店では平積みされており、誰でも購入できる。
一方で、ノベルゲームでは性的な行為が行われたことだけを表現するのであれば全年齢版として流通が認められ(先述のドラマ「逃げ恥」と同じである)、行為の内容をCGやボイスで表現するとR18となる。なぜライトノベルやマンガとノベルゲームとで扱いが異なるのか、私にはうまい理由が思いつかない。マンガの中でも、『瓜を破る』のようなマンガと、いわゆるエロマンガとで何が異なるのかの説明も困難である。このあたりをきちんと考えようとすると法律の話から逃れられない。たとえば法的に「わいせつ」が定義されていたとしても、個別の表現が「わいせつ」にあたるのかは常に見解が分かれてしまうように思う。法律の話は専門外だからここでは諦めるが、素人の一人としては、可能な限り表現に制限をかけてほしくないし、レーティングという考え方自体を積極的には採用してほしくないと思う(保健体育の教科書も十分に性的だと思うが、まず問題視されないしレーティングが必要だと主張されることはないだろう)。
おわりに
レーティングに関係することは『エロマンガ表現史』にも書かれている。
様々な表現に囲まれている私たちが、わざわざ性的な表現や暴力表現を選択的に遠ざけようとするのはなぜなのか。歴史を紐解くまでもなく、人間社会の根底にはこれらの表現はあるはずである。レーティングという概念は、おそらくは社会の秩序や子どもへの悪影響を考慮して開発されたものだろうが、人間の生物的な側面を隠蔽するというデメリットにも思いをめぐらせるべきだと私は考える。