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【表現評論】絵を鑑賞すること、所有すること、お金を払うこと

はじめに

久しぶりにあざらしそふとのアマカノ2でもやろうかなと思い起動してみたところ、いつもの画面ではなくSD絵になっていた。

アマカノ2 タイトル画面
アマカノ2 タイトル画面SDバージョン

これには何か理由があるのかと思い公式ホームページを閲覧したところ(理由はわからずじまい)、版画展のお知らせが目に入った。

休日にもともと出かける予定があったため、ついでに鑑賞してみようかと思い、予定を完了したのちに会場へ向かった。

絵を鑑賞する方法 -アナログとデジタル-

会場では複数の版画展が同時に開催されており、あざらしそふと以外の作品も展示されていた。版画とは単に紙に印刷したものかと思っていたがが、金属や漆塗りの上に印刷しているものもあり、その表現に驚いた。
担当者に話しかけられ、版画とはどのようなものかを伺った。小中学校の図工や美術の時間で、木板を彫刻刀で彫ってから黒一色のインクをつけ、そこに紙をのせてバレンでこすってインクを転写したことを思い出した。この版画展で展示されているものも図工の版画と同じ手法が用いられており、何色も・何回も転写することで奥が深い表現をしているとのことだった。通常の印刷よりもずっと多くの色の表現ができるということであった。

実際に版画を鑑賞して興味を持った点がいくつかある。

  • 画面を通して鑑賞するのではまずわからないような表現がなされている。

  • 観る角度や光の当たり方で、絵の表情が変わる。

  • 一枚のイラストがひとつの芸術作品、工芸作品に昇華している。

版画にはよく目を凝らさないとわからないほどうっすらとラメ加工が施されていたり、水しぶきの光が当たる部分が少し盛り上がった加工をされていたりと、画面で観るイラストとは別物になっていた。私が版画を鑑賞したときは、絵全体やキャラクターではなく、このような細かいところに興味を持った。
版画は複数の色を重ねる手法であるため、表面上見える色の裏にはたくさんの色が潜んでいる。デジタル彩色ではRGBやCMYK表記で一通りに表現される色であっても、版画では一色では表現していないということになる。光の当て方によって、裏に潜む色も認識できるようになり、一枚の絵で異なる表情を見られるのははじめての体験だった。
また、イラストレーターと版画職人との共同によって、サブカルチャーに属する一枚の絵が芸術作品として生まれ変わるのも興味深い。デジタルでは困難な表現もアナログであれば表現可能かもしれないというところに感銘を受けた。

絵を所有するということ、お金を払うということ

版画展はただ展示しているだけではなく販売会も兼ねている。一通り鑑賞したあとに担当者からセールスをかけられた。結果的に何も購入しなかったのだが、ここからは絵を所有するということや、価値とはなんなのかということについて考える。

私が最も興味をもった版画は80万円の値がつけられていた(あざらしそふととは無関係のイラストレーターの作品であった)。この作品に対する私の考えは以下のとおりである。

  • 80万円の値段がつけられているのは納得する。制作にかかるコストや技術を考慮すれば高すぎるとは思わない。100万円だとしても納得していた。

  • しかし、版画の素晴らしさは認めるものの購入したいとは思わない(ちなみに80万円を問題なく支払う体力はある)。たとえその版画が1000円で売っていたとしても購入しなかった。

  • イラストレーターや版画職人がどのような人なのかまったくわかっていないというのが自分には大きな問題である。

  • もちろん、80万円という値付けを素朴に見ればポンと出すような金額ではなく、それにビビったという面は少なからずある。

自分にとっての芸術作品の価値をお金で評価することはナンセンスだとは思うが、私の感覚ではその作品が80万円なのは十分に納得する金額であった。私は地元ではアマチュアの音楽活動をしており、そのつながりでプロの方々とも交流していた。一緒にライブをしたときのギャラがプロ活動を続けるには少なすぎるのをずっと見てきたのもあり、技術に対しては金銭的に高く評価するべきであるという価値観を持っている。このような背景のため、80万円という金額そのものが安いとは思わないが、実物を鑑賞したうえで版画が80万円といわれたら十分に納得したし、払いたいという気持ちにもなった。

版画を所有するとなると、家でどのように飾るか、または保管するかが問題となる。ぬいぐるみやタペストリーなどであれば雑に飾ったり保管したりしてもそれほど問題にならないが、額におさめられた芸術作品をそのように扱うことは私にはできない。作品に対して適切な取り扱いができないということは購入を見送るひとつの理由であった。また、そもそも私がその作品を所有したいという欲がわかなかった。仮に、私の知り合いで本気でこれを所有したいと考える人がいたとして、その人にねだられたら購入した可能性はある(私は80万円以上の価値を作品に見出していたからである)。

ゲームやアニメ、芸術作品にお金を払うとき、みなさんは何にお金を払っていると考えるだろうか。これは奇妙な質問であり「いや、その作品にお金を払っているんでしょ」がふつうの回答だと思う。私にはいくつかの観点があって、作品によってどの観点が優勢になるかは異なっている。例えば以下のようなものが挙げられる。

  • 作品に対してお金を払う

  • 人に対してお金を払う

  • 技術に対してお金を払う

  • 今後の作品作りに期待してお金を払う

作品に対してお金を払うのがふつうの考え方であると思う。私はそれ以外には、その作品の制作に携わった人やその技術に敬意を表する手段としてお金を払うと考えることがある。人や技術に対するお金と考えるなら、自分の手元に届く作品はおまけであるといってもいい。80万円の版画の話でいえば、イラストレーターや版画職人に対してお金を払うことには何のためらいもないが、そのおまけでついてくる版画の扱いに困ってしまったということになる。所有欲があることを前提として、もし私が広い家に住んでいて、芸術作品を飾るスペースに困らないのであれば、その場で80万円を支払っていたと思う。

人や技術に対してお金を払うと考える場合でも、その人がどのような人であるのかの情報がまったくないと支払いをためらうことがある。例えば私は美容室に通うために長距離を移動しているが、担当美容師のことをよく知っていることもあり、高い交通費をかけてでもその美容室に通ってお金を払うことにまったくためらいはない。一方で、80万円の版画のイラストレーターのことはその場で作品を鑑賞するまでまったく存じ上げず、また版画職人も当然知らない人である。その人に対していきなりお金を払う胆力が私にはなかった。これは私の弱いところである。価値を認めるということと、それにお金を払うということには大きな壁がある。

おわりに

あざらしそふとやアマカノ2からこの記事にたどり着いた方には本当に申し訳ないが、それらとはほとんど無関係な内容の記事であった。最後にあざらしそふとの話を少しだけ書いておしまいにする。
2024年にあざらしそふとが大々的にセールをやっており、そのときにアマカノシリーズとアマナツシリーズを購入した。それまであざらしそふとの作品には一切触れてこなかった。それでも購入を決めたのは、あざらしそふとの今後の発展や継続を願ったからである。購入した時点で私の目的は達成しているが、せっかくなのでとアマカノ2を遊んでいたから版画展を知り、このような記事を書く機会を得た。どこに自分の興味のタネがあるかわからないものである。(約3100文字)

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