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躁鬱人間はちゃんとしてはダメ。夢を描こう。

僕はきっと躁鬱人間です。自分の心のお話なのに、病院へ行って見ず知らずのお医者さんにこんにちは、僕鬱なんです、と診てもらうのってなんだか変だなぁと思うので診察は受けていないし病院にも行ってません。でも、特徴からすると躁鬱人間なんだと思ってます。とても氣分の波が激しいし、なんでもできる!動くぞーっっ!っていう笑顔百点満点、行動力も体力も有り余って知らない人にもどんどん話しかけて調子良く話せる自分と、鬱になって呼吸もできなくなって身体もカチコチで自信なんてものはなく、ぺこぺこして自己否定をしまくる自分、の二つの極の間を行ったりきたりしてました。最近は自分で自分を見てあげられるようになってきたのでどっちの極にもよりすぎることなくいられていますが、慣れるまではとても大変でした。躁のときにはなんでもできる!と思っているし自分が超お金持ちだと思っているので、いいなと思ったものにはバンバンお金を払うし、いいサービスをしてくれた店員さんには一万円くらい手渡ししたい氣分になります。自分にできないことなんてあるわけないし、自分愛してる自分最高!と思っているのでガンガン人に会いに行ったり電話したり、思いついた新しいアイデアを話したりします。しかし、問題はここからです。そんな状態でいると今度は反動で身体と心のブレーキが強力にグググーン!!と鬱の引力が作用して自己否定に陥り、自分を動けなくしようとします。これは、どうやら防衛本能のようです。そこで氣付きます。あぁ、なんてことをしてしまったんだ、なんでできもしない軽はずみな発言を自信満々にしてしまったんだ、もうこの苦しみから一生逃れられずに人生を彷徨うかもしれない、お金もなくて心も苦しくて、自信がない自分のまま一生を終えるのかもしれない、自分はなんなんだ、と延々に自問自答を繰り返します。そんな大袈裟なと思うかもしれませんが、この一連の流れが1時間の間に起こったりします。だから、1時間前の自分と今の自分で話してる内容も、人間も全く違うように感じられてしまい、またそのギャップに苦しくなるというサイクルを繰り返していました。躁鬱人間にありがちなことですが、地に足がつかない、現実が見れないというのがあると思います。しかし、僕らは現実を見てちゃんとした人間になろうとすると必ず苦しくなり呼吸もできなくなり生きてるのが苦しくなります。地に足をつける、ちゃんとする、なんてことは、多くの人間が何も苦労せずにできちゃってることです。その苦手ポイントをできるようになったところで、当たり前としか思われませんし、それでもナチュラルにできる人からしたら普通のことにしか思われません。それに、ちゃんとしようとすればするほど苦しくなってしまい自分の生きる世界は縮こまってしまいます。それより、思い切って苦手なことをほっぽり出して得意なことだけしちゃいましょう。そっちの方が氣分樂なはずです。つまり、躁鬱人間は夢を描くのが得意だし好きです。自由に氣分で行動することが好きだし、目立つことも大好きなはずです。本当は自分が大好きだし、人のことも大好きで好奇心も旺盛なんだと思います。そこを伸ばしていこうということです。なんなら、ちゃんとすることは全然できないんだーーー!てへぺろ、というスタンスでいれば、自然にそんな自分を助けてくれる存在だったり、そんなできない自分を認めて人間らしいね、と愛してくれる存在は必ず現れるはずです。人間誰しも足りないところがあるから可愛いんです。可愛いは愛を可能にする、完璧人間は可愛くないから愛されないんです。なら、完璧人間のフリをやめて力抜いて楽になったほうがお得ですね。そして、自分の好きな何かを生み出すこと、世界を救うこと、どでかい夢を描いて実現させていくこと、そっちの方をガンガンやっていけばいいのです。そしたら勝手に地に足もついてくるはず。足をつけようつけようとするからつかないんです。これは面白いパラドックスですが、結局は自分を生きよう、そうしたらうまくいく、何より自分が最高に人生楽しい状態に入っていきます。大丈夫。もう完璧人間になる必要はない。どんどん自分を出していきましょう。

たくま

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