いかがわしいものに救われることもある
今日は僕が大好きな曲から、よく思ってることを書きます。
Spotifyで好きな曲をシャッフルでかけていたら、THE BOOMの『ウキウキルーキー』が流れてきました。
大好きなんですよね、この曲。
どういう曲かを一言で言えば、小さい頃、町にいる怪しいおじさんに出会って仲良くしてもらった思い出を歌っている曲です。
(作詞をした宮沢和史さんの実体験かどうかは存じないのですが)
いかがわしいものが拠り所になることもある
近頃うちの町内に おかしな車がやってきた
何の変哲もないけれど カタツムリの絵が描いてある
近所じゃひそひそ噂する カタツムリのおじさんのこと
仲間はずれの子供たちを 不思議な旅に連れてく
ちょっと変質者というか、少なくともならず者なんだと思います、このおじさん。
でも、そういうおじさんが拠り所になることもあるんですよね。
小さな嘘ついて母さんに叱られた日
おじさんのエスカル号が 迎えに来たのさ うそじゃないよ
「いかがわしさ」と「漂白」
このおじさんの対極にあるもの、それは「漂白」という概念。
今の時代、ますます「漂白化」への意識が強すぎるとは思っています。
僕がこの曲に感じる良さは、「漂白されてしまった社会では掬いとれないものがある=いかがわしいものも時には大事」ということに繋がります。
子どもにとって、家以外の居場所も大事
この曲の中の少年は、このようにおじさんとの楽しい思い出を重ねていきます。
車の中に仕掛けられた いろんな秘密がオモシロイ
まほうびんにはおじさんの ブレンド味噌汁かくれてる
トランクの中 あふれだした ヘンテコロリンな空想を
少しずつ紙ぶくろに詰め いつも持たせてくれた
これも僕が子どもを育てていて意識したいことなんですが、この曲中ぐらいの子の年齢(小学3〜4年ぐらい?)になったら、家以外の居場所もなるべくたくさん作るのも大事だと思うんですよね。
その居場所の中には、いかがわしい場所があってもいい。
もちろん親として、危険な目には遭ってほしくないとは思います。
そのさじ加減って難しいところではあるんですが、それでもずっと漂白化した環境にいさせるのは良くないなとも思っています。
曲としても大好きな『ウキウキルーキー』
この曲が秀逸なのは、この後の急展開。
この展開に胸が張り裂けそうになるんですよね。
ある朝新聞におじさんが乗っていた
漢字で読めないけど きっとこれでお別れなんだね
世間ではよくないとされてしまったたものと、自分の中の思い出や尊さとのギャップ。
それをまざまざと感じさせられたこの子の心象。
それでも大きくなった今、その思い出は輝いているという回顧で、この曲は締めくくられます。
大きくなった今でも ヘビーな夜が来た時も
僕はヘラヘラへっちゃらさ 口笛吹くから飛んできてね
現実と空想、漂白といかがわしさ、愛着と別れ、そして後年の回想。
複雑におりなされながらもスッと入ってくるストーリーが、一貫してあっけらかんとした軽快なリズムで歌われるのも彼らのセンス。
THE BOOMと宮沢和史さんは、ほんと天才だと思っています。
彼らのようなメッセージと曲調のバリエーションをもったバンドって、日本で他にありませんよ。
この曲や『過食症の君と拒食症の僕』、そして世間的にも名曲とされている『からたち野道』が一緒くたに収録されている『JAPANESKA』っていうアルバムはJ-POP史上でも稀に見る名盤だと思ってます。
って、最後はTHE BOOMへの賛辞になってしまいましたが。
でもBOOM自体が(特に初期の頃は)、こうしたいかがわしさや少年性を鮮やかに歌っているバンドだと思ってますし、そういうところも好きなんですよね。
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