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子どもが小学校に行かなくなっても僕がなぜ焦らずにいられるのか

うちの子(7歳)が小学校に行かなくなって、今月でちょうど1年になりました。

いま小学2年生で、小学1年の6月頃から「小学校に行くのイヤだ」と言い出し、学校に行かなくなってます。

そのことに対して僕自身は「やっぱりそうだよねえ、わかるー」と思っているぐらいで、焦りのようなものは全くないのですが、それが驚かれることも多いです。

驚く方のなかには、ご自身でもお子さんが学校に行きたがらなくなった/行かなくなった経験をおもちで、そのときに「だいぶ焦ってしまった」という方も一定数いらっしゃいます。

「その焦らずにドンと構えていられる精神がほしかった」と言われることも多いので、このnoteでは、子どもが学校に行かなくなっても自分がなぜ全く焦っていないのか、その考え方やからくりを書いてみます。

子育てや成長促進は、相手ありきの個別化でしか語れない

大前提となるのがこの鉄則です。

自分は若い社員が多い会社も経営していますが、子どもに対しても成人に対しても全く同じで、まずは個々人をとにかく見る、その人自身を把握する、ということからすべてが始まると思っています。

その上で、単純に対ストレスという意味では、よくコンフォートゾーン、ラーニングゾーン、パニックゾーンの話があります。

適度なストレスのバランスがとれているラーニングゾーンが最も成長できる、っていう話

仮に同じ「学校へ行く」という行為にしても、あるいは同じ仕事に取り組むにしても、人によってストレスの受け方は千差万別です。

その点、うちの子を見ていると、他の子が気にならないことも強く気にする傾向はとてもあるなと思っています。

HSCには小学校の集団生活はやっぱりつらいよ

うちの子を見ていると、まあ「これは確実にHSCやな」と思います。

HSCとはHighly Sensitive Child(ハイリーセンシティブチャイルド)の頭文字をとったもので、直訳すると「とても感受性が高い子ども」という意味です。

https://life.litalico.jp/hattatsu/mailmag/156/ より

というか自分にとって「HSC」はこの数年間のマイブームなワードでもありまして。

少し話が逸れますが、うちの子がHSCだなと分かったのは、幼稚園の年中頃のことでした。

妻に「これ、うちの子そのままじゃない?」と教えてもらって分かったのですが、そのとき同時に「この特徴、幼少期の自分と全く同じやん!というか大人になった自分ももろにHSPやん!笑」と気づいたのです。
※HSPはHighly Sensitive Personの略で、HSCの大人版です。

このHSC/HSPという特徴自体の話は、これもまた少し話が逸れてしまうのでまた別のところで書きますが、とにかくうちの子はHSCという特徴があることは確実だろうと思います。

決して「HSCだから」と、特徴がありきで考えるわけではないのですが、やはりうちの子にとって学校という集団生活は、きつそうではあります。

例えば以下のようなシーンに、いちいちとても大きなダメージを受けてしまうんですよね。

  • 先生が怒る、大きな声を出す

  • 先生の言うことを周りの子たちが聞かない

  • 自分が話すばかりで、相手の話を聞かない子がいる

  • 貸したものを返してくれない子がいる

  • 給食を時間内に食べきれない

これはどれも「いや、それはふつうに起こるよね」というもので、うちの子の周りの人たちが悪いわけでは決してないです。

ただ、こうした「ふつうに起こること」でも、大きなダメージを受けてしまっているのが、うちの子を見ているとよく分かります。

見ていてそれが分かると、「小学校に行くのがイヤだ」と言い出しても、まずは「うんうん、そりゃイヤだよね」と受け取る、という自分の思考回路なのだと思います。

むしろ、僕は小学校の入学式を見て、「あ、これは行けてもGWぐらいまでかな」と思っていたのですが、「6月までほんとによくがんばったね!」と抱きしめてあげたい気分でした。

幼稚園に行けていたこと自体が奇跡

先に小学校の話を書きましたが、では幼稚園はどうだったのかというと、奇跡的にギリギリ行けていました。

ギリギリというのは、年中〜年長さんぐらいになると、すっかり11時頃に登園する重役出勤だったので。笑

ではそれでも幼稚園にはなぜ行けていたかと言えば、(僕の目から見てですが)年少から3年間担任をしてくださった先生が、まじで素晴らしい方だったからですね。

何が素晴らしいかと言えば、うちの子がダメージを受けていることをしっかり分かってくださっていて、その都度とても正しいやり方で対応をしてくださっていたからです。

その「少しの変化(特にダメージ面)に気づくことと、そこへの個別対応」のお陰だったと思います。

ちなみに卒園後にその先生と話したとき、その先生もご自身がHSPだろうと自認されていました。

でも当時からしみじみ思っていましたが、その先生のような方って、なかなか世の中に多くないと思いますよ。

「小学校にもあんなに素晴らしい先生がいるはずだ!」と期待してしまうほうがややトゥーマッチで、なかなかそうはいかないものだと思っています。

興味を伸ばすこと、没頭することが一番大事

ここまでは、うちの子の特徴などから「うちの子にとっては」という話をしてきました。

ただそれと同時に、今の時代の子育て(教育)のあり方として、一般論として僕が強く感じていることもあります。

子どもの興味を伸ばすこと(もしくはそれを邪魔しないこと)、その上で没頭する時間を増やすことが一番大事では、ということです。

日本社会においては特に、子どもの興味を大人が邪魔しすぎでは?と思っていますし、高度経済成長期の「みんなが同じことをすればいい」教育から未だに抜け出しきれていないとも思っています。

抜け出しきれていないのは、学校など教育機関だけでなく、これまでの価値観の集合体の中で育ってきた親も、そして企業も、です。
(日本企業が競争力を失ってきた大きな要因の一つもこれだと思っています)

その教育のやり方は、高度経済成長期のように「みんなが大きなミスなくやっていれば全体で成長していける」という時代には正解でした。

ただ、変化のスピードが激増し、明確な答えも曖昧にこれからの時代には、全くもって対応できないやり方だと思います。

※ここらへんの話に馴染みがない方は、「VUCAの時代」などをググってみてください。

※さらにこのあたりの日本の教育の統計的な結果については、この本によくまとめられています。

「言われたことをやる」ことに慣れた大人になる怖さ

以上のような背景から、子どもの将来を見越す上でも、「先生がいて、他の生徒たちと横並びで同じことを教わる」という仕組みに僕自身がもともと不安を感じていた、ということもあります。

実際に20代〜30代の社会人を見ていても、言われたことをやることに慣れて自分から動けない/考えられない人、あるいは失敗することや人からどう思われるかへの恐れが強くて自身の能力を発揮できない人は、とても多く感じます。

では「そうなりにくい人が育ちやすい環境」って、今までの日本で多数派を占めていた価値観・考え方からはだいぶ離れないと、なかなか難しいですよね。

小学校に行かないなら行かないで、たくさんやり方があるのでは

僕自身は、小学校での経験をすべて否定したいわけではありません。

そもそも「小学校」という一つのワードでは括れないほど日本にも多様な小学校がありますし、これからの時代に即した形になっている小学校もたくさんあると思います。

ただ、実際問題としてうちの子は当分のあいだ小学校には行けなさそうなので、自分としてはまずその状況は与件として受け取り、「じゃあどうしようか」を考えなければいけません。

で、そういう状況になったことで、「お、じゃあ一般的な小学校とは違うやり方で過ごす時間を増やすチャンスやん!」と捉えているのだと思います。

この「チャンス」という言葉の大きな部分が、先の段落で書いた「子どもの興味を邪魔することなく、それを広げられる、没頭できる時間を増やせるのでは」ということです。
もちろん子どもにとってパニックに陥らない、心理的安全を担保した環境の中で。

多くの小学校と同じように、うちの子が所属している小学校も、いろいろな授業があります。

こくご、さんすう、どうとくなどなど、もちろん意味があることだとは思うのですが、一日の間で「子ども自身が興味のあることに没頭して何時間もそれをやっていられる」という時間はなかなか作れないですよね。

せっかく小学校で過ごす分の時間がだいぶ空いたので、では子どもがやりたいことをしてもらいつつ、親としてはその「やりたいこと」を拡張できるような声がけをしたり、環境を準備したりしてあげることをすればいいかなと思っています。

※ちなみにうちの小学校にはとてもよくしていただいていて、毎日オンラインでつなげてもらえる授業も用意してくださっています。

現状を受け止めつつ、「じゃあこうしよう」を考えていられるから焦りとストレスを感じない、のかな

話をこのnoteのタイトルに戻して、「子どもが小学校に行かなくなっても僕がなぜ焦らずにいられるのか」をまとめると、こうなります。

客観的にみてもうちの子の感じだと小学校に行くのはなかなかしんどいよな…ということを受け止めつつ、「じゃあこれができるな」と具体的に考えられているので、あまり焦りやストレスを感じなくて済んでいるのかな、ということです。

まあ、僕自身が楽観的なところがあるのも大きい気はしますが。笑

親や大人って、自分の拙い経験や知識だけで、子どもにもそれを当てはめようとしてしまう傾向があると思うので、なるべくそれを捨てるようにはしています。

自分の場合は、HSCながらも小学校はしんどい思いをして行っていた人間ですが、そんな自分の経験は捨てておいて、子どもには親が辿っていないルートを歩んでもらった方がいいことあるのでは、とも思っています。

今回は、だいぶ「子どもが小学校に行かなくなったときの自分としての考え方や心のもちよう」に絞って書きました。

ただ、ここに少し書いたことも、あるいは全く触れなかったことも、この話のまわりにはいろんなあれこれが介在することでもあります。

これらについては、またそのうちどこかで書いてみることもあるかもしれません。
一応、メモ程度に箇条書きで。

もし「特にここの話を書いて!」などあれば、お気軽にコメントください。

  • うちの子を見ていて、どのへんがHSCなのかという話

  • 僕自身がHSCやHSPでどうだったのかという話

  • 幼稚園の先生は具体的にどこが素晴らしかったのかという話

  • 教育の話とは別に、学校が子どもを預かってくれないと日中困らない?という話

  • 実際問題、子どもは毎日なにをしているのかという話


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