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人のにおい

Feeling(今日の一言)

1年間撮り溜めてきた写真の現像がようやくほぼ終了した。この1ヶ月くらいはずっとただひたすら現像する毎日。現像自体も楽しい作業だけど、こんだけ長く続くと、やっぱり飽きてくるものである。

そして、写真を見れば見るほど自分の才能のなさを感じてしまうのだ。だれかの写真と比べるわけではないけど、これはどうかな? と思ってしまって没にしてしまう作品も多い。というか、8〜9割くらいの作品は選定の段階で没になるし、そして、現像してから、それが作品として選ばれるものになると、さらに減っていく。そこで、どうしても選ばなくてはいけなくて、これだけが残りました、と言えるようになるといいのだが、果たしてどこまでのものができるのだろうか。はじめての写真集(フォトエッセイ)づくりなので、不安と希望が混じり合う。

最近、ロバート・フランクやソール・ライターなどの「スナップショット・エステティック」や「ニューカラー」と呼ばれる作風の写真集を見て、何を取るべきか? というのが少しずつわかってきたような気がする。

僕は決して、優秀なカメラマンではない。別に美しい写真を撮って、それで生計を立てるカメラマンになりたいとは思わない。でも、何かを写したいと思うことはたしかで、心がときめいた瞬間をいつも撮りたいと思っている。でも、それで何が残っていくのか、何を残そうと考えているのか、と自問自答した時、ああ、もしかしたら、彼らのような作風を目指しているのかもしれないな、と思うのである。

どこか、遠くの島の、遠くの美しい景色を撮るのもいいけど、もし、自分の住んでいる場所で、あと50年撮り続けたら、その時、出来上がった作品はきっと物凄い大作になっているのではないかと思う。それは、ただ風景や人を撮っているのではなく、時代を撮っている作品になるから。そうなると、もうただの作品の域を超えるのではないか、と思うのである。

でも、そういう写真を撮り続けること、どの時代に、どの部分にピントを合わせるのか、というのは、難しいことだと思うし、それは肌で感じるとともに、生きる、生き続けるということなのかもしれない。

なんだかちょっと固い文章になってしまったけど、今日はちょっとそんなことを考えています。

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