季節外れ
どうすればうまく育つかなんかわかるわけがない
【小さな自給】
何が起こっても生きていける、安心で、自由な暮らし。
お金がなくても、場所がなくても、小さくはじめられることから。
日記のようなフォトエッセイ。
うまく育って欲しいなと思う。でも、どうすればうまく育つかなんてほんとのところはわらかない。種のせいなのか、天気のせいなのか、土のせいかのか、気分のせいなのか。。。
植物はある程度その条件を制限することで、それこそ、種自体をF1種と呼ばれる形質が同じになるように作ることによって、特定の環境で育ちやすいようにすれば、それはある程度絞り込んだ条件の中で、同じような形に育てることができるようになる。
ただ、それがうまくいくということであるならば、自然というものはうまくいかないことがほとんどで、形や大きさが違うということが本来自然であるならば、僕たちはかなり不自然なことをやっているのではないかと思うのである。
だから、そもそもうまく育てるという発想自体がたぶんおかしいのだけれども、一定の条件で同じように育つような不自然なものばかりみてきた僕たちには、そっちの方が自然に思えているというのがいまの現状ではないだろうか。
そして、それは作物とかだけではなくて、動物だったり、人間にも当てはめようとする。何かたったひとつの方法がある。正解がある。うまく育てる方法があると思ってしまうが、人間は植物以上にいろいろな環境の影響を受ける生き物で、どうすればうまく育つかなんてわからないし、そもそも、そんな考え方自体が傲慢であり、うまくというのはだれにとってうまくなのか、と考えた時に、それは本人にとってではなく、親や周りのものにとって、ということだろう。
大きく育つものもあれば、然前育たないものもある。種を蒔いた日時が関係しているのか、蒔いた種の大きさが関係しているのか(それはありそうだけれども)、ちょっとした風や日当たりの違いなのか、そこに生えている草のせいなのか、なんなのかはわからない。
きっとそれはもう目に見えないいろいろなことが関わっているので、永遠にわかることはないと思うけど、でも、それでいいんだと思う。そもそもうまく育てようなんていう考え方が間違っていて、植物たちは種を蒔いてあげれば自分で育っていくのだ。
たくましいものだと思う。収穫する側からしてみたら、多くのものが同じように、たくさん実をつけてくれるのは嬉しいけれども、でも、ほとんど何もすることなく、自分の力で育っていく植物たちをみているとほんとたくましいと思うし、それが自然なんだと思う。
自然から自然を奪わないこと。何かを求めるのではなく、ありのままを受け入れること。コントロールできないものをコントロールするのではなく、流れに身を任せること。わからないものはわからないままでいい。それでいいんだ、と自然の中にいるとそう感じられる。
A world where everyone can live with peace of mind🌟