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なにもないから、なんでもできる

Feeling

先月の新刊の出版が終わってからは、ひたすらフォトエッセイの出版に向けて、写真の現像(デジタルデータ)を行っている。
どれをフォトエッセイに載せるかわからないが、インスタの方では、ちょこちょこ現像した写真を載せているので、興味のある方はぜひチェックしてみてほしい。

このマガジンに載せている写真も使われるかもしれないし、使われないかもしれない。永遠にお蔵入りになれば、このnoteでしか見ることができなものになるかもしれない。このnoteではできるだけ新しい写真を載せることにしているので、フォトエッセイや写真集になる前に見れることと、もしかしたら、ここでしか見えれないものになる、というものが見れるのかもしれない。

1年前の写真を現像していると、なんだか懐かしくなってくる。というか、そもそもいまと使っているカメラが違うので、色とかが然前違うのだ。なんだかとても懐かしい気がする。本当に短い間しか使っていないのに、とても長い間一緒にいたような気がするから不思議である。

また、一緒に写真を撮りたいなと思うけど、たとえ、同じレンズ、同じカメラを買ったとしても、きっとその時の感覚とまったく同じということはないだろう。たとえ、モノというものでも、やっぱり愛着があって、なんども自分の手でさわると、それはなんだか特別なものになるのだ。

だから、いろんなものに愛情を注ぐというのは大切なことだと思う。それがいつのまにか、自分だけのものに変わるからだ。

何気ないぬいぐるみ、何気ないスニーカー、何気ないコート・・・。一緒にいるとなんだか、自分だけのものに変わってくるのだ。

だから、いまのカメラもいつも一緒にいることで自分だけのものになってくる。ちゃんとシリアルナンバーの証明書があって、さすがライカと思うけど、でも、そういう演出って大切だなと思うし、よりモノが身近になると思う。

そういうシリアルナンバーがあれば、たとえ、何らかの理由で売ってしまっても、また、そのナンバーのものを買いたいと思うかもしれない。

何気ない自分がつかっているものに愛情を傾けること。感謝すること。なかなか外に出れないからこそ、普段一緒にいるものに、一緒にいてくれてありがとうと思えるようになることって、なんだか豊かだなって思う日がある。

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