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形態分析①:ブルネレスキに見る主体と客体の分裂


0. 建築とアーキテクチャ

長らくnoteを放置してしまったが、セメスターも終わり、一ヶ月以上も在宅してるとそろそろやる事も無くなってきたので、今日から復習の意味も込めてピーターアイゼンマンの形態分析(Formal Analysis)の授業で学んだ事や、そこから僕が考えた事などについて少しずつ紹介していきたいと思う。まずは世界最初の建築家とも言われているブルネレスキの建物の分析を紹介しようと思うのだが、その前にこの授業で僕が最も痛感したと言うか、目から鱗だった気づき「建築とアーキテクチャの違い」について一章割いてみたいと思う。そうすれば、なんとなくこの授業の、少なくとも僕にとっての重要性を共有しながら進められる気がするからである。(長くなってしまったので、ブルネレスキから読みたい人は飛ばしちゃってください...)

前回の記事でも述べた通り、この形態分析という授業はYSoAで18年間続いている名物授業で、内容としてはルネサンス以降の重要な建築家たちの諸作品を分析する事を通して、建築というオブジェクトがどのようなロジックを経て形作られてきたかを見ていくものである。あくまでも建築の「形(=オブジェクト)」とその形が生まれた「内的な概念(=コンセプト)」についてのみ考えるため、誰がクライアントであったとか、どんな社会状況であったかなどといった歴史的コンテクストにはあまり深入りしない(もちろんコンセプトの形成に関わる社会状況の変化などについては考える)。

さて、冒頭で述べた「建築とアーキテクチャの違い」とはなんぞやということであるが、正確には「建築”だと思っていたもの”とアーキテクチャの違い」といった表現が適切かもしれない。すなわち、日本で俗に言う建築という概念と、西洋のアーキテクチャという概念は、根本的に違うと言うことを、僕はこの授業で痛感したという訳である。そしてその大きな違いは先ほど述べた「内的な概念(=コンセプト)」があるかどうかだと僕は思っている。

そもそも建築という言葉は、明治時代の建築家である伊東忠太が、西洋から流入してきたアーキテクチャという言葉を翻訳し、それまで日本で使われていた「造家」を改め、「建築」と定めたことによって生まれた。この伊東忠太による「アーキテクチャ=建築」という翻訳が、実はあまり正しくないのではないか?という疑問は、現在でも時折議論されている。内藤廣は著書「構造デザイン講義」で次のように言う。

"アーキテクチャは複数形のない抽象概念です。わたしも長らく意識しないで、「建築」と「建物」を文章の中で使い分けてきませんでした。ある人が、アーキテクチャを、「構築」または「構築しようとする意志」という言葉で訳した方が良いのではないかと書いているのを読んだことがあるのですが、その通りだと思います。"[1]

内藤さんは、「建築」という言葉が「建物」とほぼ同列に扱われる傾向にあることを指摘し、抽象概念であるアーキテクチャはその抽象性を保った言葉に翻訳しなおした方が良いのでは?と疑問を投げかけている。確かにこれはこれで正しいと思うのだが、一方で僕は本来のアーキテクチャの性質という観点から考えると、建築という翻訳は逆に正しいのではないだろうかと考えている。なぜかというと、建築という漢字を分解すると、「建てる」と「築く」の二つに分けられ、そしてどちらも英語にするとBuildあるいはConstructと訳せる。いや、めちゃくちゃ建てるやん!と思うのと同時に、重要なことはこの言葉に「建てる・築く」という何かを作ること以外の行為がまるで含まれていないことである。すなわち、「無から何かを創造する」といった毛色が強い言葉なのである。そして何かを無から創造するためには「内的な概念」すなわち「コンセプト」が必要なのである。結論として、僕は建築という言葉がむしろ的確に内的な概念を有しているアーキテクチャを表現している一方、日本で建築と呼ばれている概念が実は「建築」と表現されるべきものではない、と思うようになった。

さて、先の非常に乱暴な結論だけを見ると、日本の建築にはコンセプトがないと言っているとんでもないやつに聞こえるかもしれないが、僕が言っているのはいわゆる設計課題で学生が考えるテーマや建築家のデザインの方針といったコンセプトではなく、建築の形を生み出す「内的かつ自発的な」コンセプトである。そして西洋建築の発展はこの内的なコンセプトの変遷で追う事ができる一方、日本の建築は、自然や景色をリファレンスとする借景などの手法に代表されるように、常に建築の外の領域に形を作るロジックを求めてきたという傾向が強いのである。これは両者の宗教建築を比べてみれば明白で、西洋の教会が都市部だろうが広大な原っぱだろうが問題なく建てられるのに対して、例えば伊勢神宮は伊勢の森無しには成立しえないのである。もちろん日本の寺社建築にも、西洋の教会と類似する「神様との関係性」から生まれる内的な構造形式があるとは言えるものの、その影響は常に外部にも広がるOpen-Endedなものであるのに対して、西洋の教会は多分に閉鎖的・自己完結的なのである。このあたりの議論は、磯崎新の一連の著作群(「建築における日本的なもの」など)に詳細に書かれているので、ぜひオススメしたい。

Fig.1. 交差点の目の前にあるボッロミーニによるサン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ

Fig.2. 森の外まで広がる伊勢神宮の参道

さて、ここまでくればいかにこの形態分析という授業が重要であるかということがわかっていただけるかと思う。すなわち、日本から来た僕にとっては(僕は建築学科出身ではないので他の大学ではもしかしたら教わるものなのかもしれないが)いわば初めてアーキテクチャ、僕の考えに則して言うならば、初めて「建築」について勉強できる機会なのである。

前置きが長くなってしまったが、建築とアーキテクチャの重要な違いであるこの「内的なコンセプト」について意識しながら、いよいよ今日のテーマであるブルネレスキについて見ていきたいと思う。


1. ブルネレスキと「主体と客体の分裂」

フィリッポ・ブルネレスキ(1377-1446)はルネサンス初期に活躍した天才建築家で、しばしば「世界最初の建築家」あるいはスターアーキテクトなどと形容される。そもそもルネサンス以前は建築家という職業などなく、あまり詳しい事はわからないが、当時はMaster Builderという石工や職人を管理する職業があったのみで、現在の建築家のように一つのデザインを個人(あるいは組織)で仕上げて、施工は職人さんにお願いするというスタイルはこのブルネレスキによって確立されたと言われている(ちなみに僕は恥ずかしながらブルネレスキのブの字も知らなかったです笑)。代表作には組積造による大ドームが特徴的なフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂があり、これはもしかしたら建築に興味の無い人でも見た事があるかもしれない。

Fig.3. サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

さて、ルネサンスという時代の大きな特徴は大雑把にいうと、「神を中心とした非人間的な世界観を否定し、人間の能力や価値観を再評価し新たな文化を再興する」と記述できるだろう。すなわち、当時の人々は長らく続いた教会による権威的な支配を否定し、古代ギリシャや古代ローマの哲学に基づいた人文主義(ヒューマニズム)的な文化を新たに創造しようとしたわけであり、ゆえにルネサンス(復活・再生)なのである。これはアイゼンマン的に言うと、Divine(神、神性)が我々の物質世界の外側にいるとするTranscendent DialecticからDivineが何らかの形で我々の物質世界に表されているとするImmanent Dialectic (Social Critiqueとも言う) への移行、とのことである。するとここで問題として浮き上がってくるのが、果たして人間的な価値観を基に物事を表現するのが優先的なのか、あるいはこのDivineを何らかの形で表現するのが優先的なのか、という対立構造である。そしてこの対立構造こそが、タイトルにある「主体と客体の分裂」、すなわち「人間的な価値観に基づいた主観性」と「絶対的なルールに基づいた客観性」の分裂なのである。そしてルネサンス以降の建築は、モダニズムに到達するまでの少なくとも500年間(!?)はこの「主体と客体の分裂」というテーマに囚われ続けるのである。隈研吾はその著書「反オブジェクト」で次のように書いている。

"主体と客体との分裂は、過去の全ての建築家を悩ませた課題であったと言ってもいい。この分裂を動力として、建築様式が振幅運動を開始するのである。ある時は、客体、客観性の側に振れ、またある時は主体、主観性の側に振れるという振幅であった。ルネサンスは客体の側に建築が振れた時代である。"[2]

「主体と客体の分裂を動力として建築様式が振幅運動を開始する」とは、正に言い得て妙というか、凄まじい表現力だなぁと感動してしまいます...。

「主体と客体の分裂」という現象が明らかになったところで、ブルネレスキに再び話題を戻すと、僕はデザインと施工の分離以上に彼が世界最初の建築家と呼ばれるにふさわしい理由があると考えている。それはすなわち、建築を500年間悩ませ続ける主体と客体の分裂というテーマに、ブルネレスキが世界で初めて取り組んだと言えるからである。それは次の二つの事実から明らかにすることができる。


① 透視図法による描画方法(パースペクティブ)の発明

② サン・ロレンツォ聖堂とサント・スピリト聖堂の設計


②は詳細な分析とともに後述するとして、ここではブルネレスキの代名詞といっても過言では無い、透視図法によるパースペクティブの発明について考えてみる。

Fig.4. ブルネレスキによるサント・スピリト聖堂のパースペクティブ

建築のデザインにおいて先述の分裂が顕著な問題となって現れるのは、「人間の視野」である。すなわち、いくら建築が平面図上で厳密な幾何学やプロポーションといった客観的な基準を元に設計されていたとしても、人間の目から見た主観的な空間にはそれは翻訳されないのである。そこでブルネレスキが編み出したのが、人間の視野を透視図法という幾何学的なルールに則って記述する「パースペクティブ」という描画方法である。パースペクティブを導入する事で、人間の目から見た空間上にも、柱廊や上に伸び上がるドームといったオーダーやプロポーションを作り出す事が可能になったのである。しかし考えてみれば当然のことだが、このパースペクティブも人間の目から見た「ある一瞬」を固定しているだけに過ぎないので、実際に建物を訪れてそのパースと同じ位置に立たない限りは上述のオーダーは破綻してしまうと言える。無論、建築は実際に人が空間を動き回って体験するものなので、透視図法では主体と客体の分裂という問題は根本的には解決されないのである。そして透視図法によって描かれたパースペクティブは、人間の視野という主観的な空間に客観性を持ち込むための、ブルネレスキによる妥協的・対処療法的なソリューションなのである。美術史家、ルドルフ・ウィットカウアー(Rudolf Wittkower)のBrunelleschi and "Proportion in Perspective"というジャーナルにこの問題が正確に記述されているので最後に引用しておく。

"The charge against Renaissance and classical architecture from the Romantic era onwards was directed precisely at this problem: it was held that the aspects of buildings change as the spectator moves about and that therefore absolute proportions cannot be perceived. Renaissance architects, on the other hand, saw no contradiction between objective proportions and subjective impressions of a building."[3]

すなわち、ルネサンス期の建築家がパースを通して目指した 完璧なプロポーション(absolute proportion)は、鑑賞者が常に動くことで建物を見る視点が変わるので、知覚されない。にもかかわらず、ルネサンスの建築家は客観的なプロポーション(objective proportion)と主観的な建物の印象(subjective impression)という矛盾を半ば盲目的に容認したというわけである。


2. サン・ロレンツォ聖堂とサント・スピリト聖堂

さて、これまでの議論でブルネレスキは主体と客体という二極間の葛藤をパースという形で調停した事が明らかとなったわけであるが、実は彼のこの葛藤はパースだけでなく、実際に設計された二つの聖堂を比較することでも明らかになるのである。それがフィレンツェにある、サン・ロレンツォ聖堂とサント・スピリト聖堂である。

Fig.5. サン・ロレンツォ聖堂(1470)

Fig.6. サント・スピリト聖堂(1481)

Fig.7. サン・ロレンツォ聖堂(左)とサント・スピリト聖堂(右)の平面図比較

この二つの聖堂は平面図を比較すると、共に中央を貫く身廊と側廊と両脇の小さなチャペル、その先にあるドームと袖廊、そしてそのさらに奥に内陣という、典型的な三廊式のバシリカ型教会の形式をとっている事がわかる。しかしながら細かいところを見ていくと、この二つの聖堂がまるで対極にある概念を基に設計されている事がわかる。

まずはサン・ロレンツォ聖堂から見ていく。

Fig.8. サン・ロレンツォ聖堂の平面分析(筆者作成)

上の平面分析図を見ていただければわかるように、特徴的なのは水平垂直にリニアな柱の関係性(黒の点線)、身廊部分の円柱が横に広がる力をせきとめるような壁(赤い四角)、そして黒の点線で記したリニアな柱の関係性からは逸脱した入り口付近の二つの円柱(赤い円)といったところだろう。エントランス付近をもっと詳しく見てみると入り口は三つあることがわかるが、聖堂のど真ん中を貫くような中心の入り口がわずかに広く、明らかに正面玄関として機能していると言え、さらにその象徴性は赤い円で記した円柱二つによって補強されている。このことから、入り口の円柱二つが他の柱とは異なった扱いを受けている理由が理解できるのである。すなわち、このサン・ロレンツォ聖堂は「人が聖堂奥のドームに向かって中心からまっすぐに進み、そこで神と対峙する」という人間の「主観的な立場」から設計されていると見る事ができるのである。

これを踏まえた上で次にサント・スピリト聖堂を見ていく。

Fig.9. サント・スピリト聖堂の平面分析(筆者作成)

サント・スピリトの平面を見てまず目につくサン・ロレンツォとの決定的な違いは、ドームの四隅にあるなんとも不思議なハート型の柱とその延長にある引き伸ばしたチョロギみたいな壁だろう(図上方で赤く記した部分)。これは引いて見ればドームの中心に向かった矢印のようにも見え、実体としては存在しないコンセプト上の基準点(赤い点)がこのドームの中心の真下、すなわち矢印の先の交点に存在していることを示唆している。次に柱の関係性について見ていくと、こちらはサン・ロレンツォよりも厳密なグリッド状に配置されており、一見すると同様に水平垂直にリニアな関係性で結べるようにも見える。しかし、一つ前の分析で示唆されたコンセプト上の基準点の存在が新たな解釈を可能にする。それは、この基準点を中心として外に向かって放射状に広がるように柱が配置された、という見方である。さらにこの仮説を支持するのが聖堂の壁に取り付けられた半円のピラスター(装飾柱)である。サン・ロレンツォではこの壁面は真っ平らであり(実際には四角いピラスターが薄く取り付けられている)、同一軸にあるという事以外、身廊の円柱とはまるで関わりを持とうとしなかったのに対して、サント・スピリトではわざわざ身廊の円柱と整合性をとるように半分に切断された装飾柱がついているのである。これによって、ドーム真下の基準点から周囲の柱を通る放射状の関係性は、そのまま壁面の半円ピラスターを通過し、あたかも無限遠まで伸びるような性格を持つと推測できるのである。

そして極め付けは入り口の構成である。サン・ロレンツォでは人が入り口から中心を通って真っ直ぐ神にアプローチするような構成であったのに対して、サント・スピリトではまるで中心を避けるようにエントランスが二つあり、加えて人が中心から神に向かってアプローチする事を妨げるように円柱がど真ん中に置かれているのである。

このことから、サント・スピリトはサン・ロレンツォとは逆に、「絶対的な中心点(神)がまずあり、そこから外に向かって伸びるように聖堂の構成が生まれる」という「客観的な立場」から設計されていると言え、グリッド状に均整のとれた柱の配置はそのコンセプトの帰結であると言えるのである。

実際に二つの聖堂の内観を比較してみると、コンセプトの違いが空間にもよく現れていることがわかる

Fig.10. サン・ロレンツォ聖堂の内観 

Fig.11. サント・スピリト聖堂の内観

サン・ロレンツォでは側廊の外の壁が面として現れ、さらにチャペルの上に丸い窓がある事で明らかに聖堂内部と外部の断絶を強調しているのに対して、サント・スピリトでは身廊の円柱と側壁につけられた半円ピラスターがまるでオーバーラップするように見え、側壁が面として断絶を強調しない。加えて開口部もないため、いったいどこまで空間が外に続いているのかわからないような効果を生み出している。アイゼンマンはこの違いを、Elongated Reality(引き伸ばされた実在)Flattened Reality(水平に広がる実在)と表現し、前者を「壁が迫ってきて圧迫されるような閉鎖空間」、後者を「無限遠に広がっていくような開放空間」と形容している。

Fig.12. 両聖堂のチャペルの構成比較(筆者作成)

ちなみに僕は授業内での分析では、これまでの議論を踏まえた上でチャペルの構成に着目し、サン・ロレンツォ(上)ではチャペルの外に小階段がつけられているのに対して、サント・スピリト(下)ではチャペルの内部に階段が収納されていることを強調した。前者はチャペルと聖堂を隔てる壁が断絶を強調するので、壁はチャペルのドメインに属し階段はその外に取り付けられる。一方後者は壁が聖堂のドメインに属しているので、チャペルへと上がる階段はその壁の奥に置かれるのである。

かなり長くなってしまったが、結論としてブルネレスキが取り組んだ「主体と客体の分裂」というテーマは、パースペクティブの発明のみならず、実際の設計からも見る事ができる。そして、ブルネレスキを「世界最初の建築家」たらしめているのは、この分裂に真っ向から取り組み葛藤する事で後世の建築家たちの理論の礎となる土台を築いた、その姿勢と革新性にあると言えるのかもしれない。


3. 最後に

今回はブルネレスキについての授業内での分析とそこから僕が考えたことについて書いてみたが、間違っていることも多分にあると思うのでもしお気付きのところなどあれば訂正いただけると嬉しいです。順番通りいくと次はアルベルティについて書かなければいけないのですが、正直アルベルティはよくわからないので飛ばすかもしれません...今後も少しずつ更新していきたいと思っています。

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[1] 内藤廣,「構造デザイン講義」,王国社,2008, pp232

[2] 隈研吾,「反オブジェクト」,ちくま学芸文庫,2009,pp18

[3] Wittkower, Rudolf. Brunelleschi and "Proportion in Perpective", The Warburg Institute, Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, Vol. 16, No. 3/4 (1953), pp. 275-291

Fig.1. https://www.britannica.com/topic/San-Carlo-alle-Quattro-Fontane

Fig.2. https://jp.zekkeijapan.com/spot/index/227/

Fig.3. https://www.italiandualcitizenship.net/the-history-of-the-cathedral-of-santa-maria-del-fiore-il-duomo/

Fig.4. https://www.wikiart.org/en/filippo-brunelleschi/perspective-drawing-for-church-of-santo-spirito-in-florence

Fig.5. https://izi.travel/it/8411-the-basilica-of-san-lorenzo-preaching-to-the-women/en

Fig.6. https://en.wikipedia.org/wiki/Santo_Spirito,_Florence

Fig.7. Pier Vittorio Aureli, Do You Remember Counterrevolution?: The Politics of Filippo Brunelleschi's Syntactic Architecture, Architectural Association School of Architecture, AA Files, No. 71 (2015), pp. 147-165

Fig.10 https://www.studyblue.com/notes/note/n/midterm/deck/1289890

Fig.11 https://www.flickr.com/photos/70125105@N06/27010582776

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#建築 #デザイン #ルネサンス #ブルネレスキ

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