こんな先生は嫌だ・・・指導者の選び方3
学校で対応に困る生徒に対して先生がこの子は才能がない、ほかの子より成長がおそい、脳に障害があるかもしれない、病気なんじゃないかなどと考えてみても、どこにも行き着きはしない。教育ではなく医療の領域の問題などと考えてしまうのは教育者としての責任を放棄している。
必要なのは、その子にあった段階を設定すること。
小学校の高学年だから、もう10歳だから分かって当然だ。とか思いこむのはその生徒を見ていない。
5年生で、5年生の漢字が書けない。だからと言って、5年生の漢字を一生懸命、練習させてもうまくいかない。その子はますます混乱する。
その生徒を調べていくとひらがなは書くことができていても、実はカタカナの一部が書けず、その延長で、漢字が読めない書けなかったということが見つかる。
もう5年生なのにと思うかもしれないが、1年生のときのカタカナを習うはずだった授業の期間に病気で学校を休んでいて分からないままになっていて、そのことを周囲の誰も気がつかないまま年月が過ぎた。
このようにどこからできなくなっているのかを見つけて見付かったできなかったことを練習させて、できるようにする。そしてそこから進ませる。
よほどの場合をのぞいてなにかができないことは脳の機能に問題があるわけではなく、適切な段階を設定できないまま進めようとしていたせい。
子どもに自転車の練習を公園の広場でさせても、すぐに倒れてしまう状況が続いていた。
そこで地面をけって進む前に、もう少し低い段階を設定してみるべきだと気がついた。近所にわずかに下り坂になっている遊歩道がある。昼間の人通りはわずかだ。そこにつれていって、ただ、自転車にのせて下らせる。地面をける必要もなく、自転車は自然に進んでいく。下り坂はゆるいので、危険にはならないほどよいスピード。
何回かやってみな!と勝手にやらせていた。気がついてみたら、あ!できた!という瞬間がありバランスをとって自転車を進めさせる感覚がつかめた様子。それからすぐにペダルをこぎはじめて、そのまま、こいで進めるようになっていた。
それまで、何度も公園の平らな広場で練習してきたが、なかなかうまく行かなかったことが、適切な段階を設定することでわずか数分でできるようになっていた。