こんな先生は嫌だ・・・指導者の選び方2
教える側が生徒の向上よりも自分自身の正しさを主張することの方により多くの注意を払っている場合がある。そうなると自分が持っている考えではうまく行かなかったときにうまく行かなかったと自分で認めることができない。
こういった指導者は生徒の向上ではなく自分の正しさをより確固としたものにするのに一生懸命だ。さらには指導者本人が、自分が何の目的でやってるのか自覚がないから教えられるほうは災難だ。
生徒が自分には才能がない、自分が悪い。とか感じて行き詰まっていたとしたら、指導者が自分の正しさを主張することに一生懸命になって生徒を見ていない可能性がある。
一つの分かりやすい実例。子どもが補助輪なしで自転車に乗れるようにするために、まずは平らな広場等でペダルをこがずに、地面をけって前に進む練習をする。そうして自転車を倒さずに進む感覚を十分につかんだ上で、ペダルをこいで進む練習をする。という段階を考えていた。
で、実際にやらせてみたとき、平らなところで地面をけって進むのが難しいようですぐに倒れてしまう。
そこで、なんでこの子はできないんだ!ほかの子はこのやり方でできているのにおかしい。自分はこのやり方で、長年指導してきてうまくやってきた。だから、できないのはこの子の運動神経が鈍いからだ、発達に問題があるなどと、子どものせいにしてしまったら、先に進めない。経験が邪魔をして、目の前で起きていることを観察できなくなっている。また、自転車に乗れるようにするという結果に向けて、自分がうまく指導できていないという事実を自分で認め、受け入れられていない。
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