盲目の数学者:レオンハルト・オイラー
※この記事は2022年2月26日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。
今日も数学史の解説していこうと思う。
今回紹介するのは18世紀に活躍したスイスの数学者レオンハルト・オイラーについてだ。
前回はニュートンについての解説だったのだが、オイラーもかなり有名な人物なので名前だけは知っているという方も多いのではないだろうか?
レオンハルト・オイラーは、1707年、スイスのバーゼルで生まれる。父はプロテスタントの牧師で、当初両親は息子のオイラーを牧師にしようと考えていたのだが、オイラーが幼い頃から数の表や長い詩、有名な人の演説を暗記することができていたことに加えて、込み入った計算も暗算で行うことができたので、両親は息子の才能に魅力を感じて、恵まれた環境の学校に通えるようにしたという。
1720年、オイラーは13歳の若さでバーゼル大学への入学を認められると、そこで当時、数学教授をしていたベルヌーイ教授という人物と出会う。教授もオイラーの才能と好奇心を見て取って、彼に度々あっては、数学の本を渡したり、彼が分からないと尋ねてきた問題の解説をしたりと、幼い学生オイラーの実力を伸ばすことに力を注いでくれていた。
大学生になったオイラーは、ベルヌーイ教授の息子だったダニエルと仲良くなって、その後彼と一緒にロシアへ発ち、サンクトペテルブルグ科学アカデミーというところの数学部門初代主任教授となる。ここは当時のロシアの女帝エカチェリーナ1世が科学と数学の研究を進めるために設立した機関で、オイラーはその後、生涯のほとんどをこのロシアにある科学アカデミーで過ごすことになる。
そんなオイラーの残した功績は、のちの時代の数学に影響を与えたものばかりなので、一つに絞るのはニュートンと同じくらい難しいが、今回はその中でも図形に関する功績ついて話そうと思う。
オイラーは1725年、多面体と呼ばれる三次元の図形について、ある公式を完成させる。それが、
「面の数と頂点の数の和は、辺の数に+2した値に等しい」
という公式だ。
面は英語でface、頂点は英語でvertex、辺は英語でedgeなのでそれぞれの頭文字を取って式にすると、
面F+頂点V=辺E+2
となる。
まず、多面体というのは、表面が長方形や三角形といった多角形でできた図形のことで、直方体とか、角錐、サッカーボールなどがこれに当たる。オイラーは、このような図形には面と頂点の数の和が辺の数+2と等しくなることを発見する。
例えば直方体の場合、面の数は6、頂点の数は8、辺の数は12なので式に当てはめると、6+8=12+2。つまり両辺とも14で等しくなる。
他にも、角錐の場合はどうかというと、四角錐であれば底面が四角形で側面が三角形なので、面の数は4、頂点の数は5、辺の数は7なので4+5=7+2つまり両辺とも9で等しくなる。これは8面体とか12面体とか、他のどんな多面体でも成り立つ。この事実は「オイラーの多面体定理」と呼ばれていて、図形の性質を理解する上で非常に重要な定理となっている。
また、こうした多面体の研究は位相幾何学という数学分野の先駆けともなっていて、この分野で使われる手法を用いると色々な分野に応用することができる。
例えば物理では、宇宙の形状を調べるために利用されたり、3DCGのコンピュータグラフィックスにも位相幾何学で扱う図形が活用されたり、他にも面、頂点、辺が持つそれぞれの性質が情報科学におけるネットワーク構築に応用されたりもしている。こうした分野の発達を支える位相幾何学の基礎を作り上げたのが、このオイラーの成果ということだ。
彼は他にも、バーゼル問題やフェルマーの最終定理といった数論に関する研究だったり、「ケーニヒスベルクの橋」という問題が有名なグラフ理論の発展。さらに関数を表すf(x)、虚数を表すi、和を表すΣといった数学記号を初めて本格的に導入したりと、成果は数えきれないほどある。
オイラーは、31歳の時に重い目の感染症にかかってしまって、それを機に目がどんどん悪くなってしまう。1770年、60歳を終えたあたりでは完全に失明していた。読み書きはもうできなくなっていたのだが、それでも助手の手を借りながら、本や学術誌の論文を読んで説明してくれるよう頼んで、自分で暗算を繰り返しながら、問題を解いたり定理の証明を続けて、盲目になった後もおよそ400点の本や論文を書いたと云われている。
体に障害を抱えながら数学への探究を生涯にわたって続けた彼の生き様には、人生訓の文脈でもいろいろ学ばされる。
彼の残した著作や生涯に関する資料は今でもたくさん残されているので、是非そちらもチェックしてみてほしい。
参考文献:『数学を育てた天才たち―確率、解析への展開 (数学を切りひらいた人びと)』