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努力と要領の悪さを一緒にしない

 どうもtakuhoです。
8月ですねー。毎日毎日の猛暑日で本当に外に出るとサウナ状態が通常になってきましたね。
熱中症やクーラー風邪などの体調不良には何卒お気をつけください。

さて今日は、「頑張る」というテーマで書いてみようと思います。

意味のない努力はないは嘘!?

 「この世に意味のない努力なんてないんだ!」というセリフ。よく少年漫画やドラマなんかで耳にすると思います。確かに、どんな努力でも"努力"に変わりはありません。そこから得られるものはきっとありますし、それをやること自体には価値があると思います。

 しかし、問題はその優先順位です。例えば、サッカーの大会まであと2日なのに、実践的な練習をおいておいて、体づくりを始めるのは正しい努力でしょうか?あと1日で仕上げなければいけない資料の表紙をデコレーションするために5時間もかけるのは努力として意味があるでしょうか?

 確かに絶対的には意味のない努力というのは存在しないのかもしれません。しかし、相対的に見れば、こっちの努力のほうが価値があるから今はそっちの努力は価値がないという状況は起こり得ます。

努力は、正しい方法で、正しいタイミングで、正しい量おこなわれて初めて意味をなすと思います。だからこそ、努力するタイミングというのはとても大切になってくると私は思っています。

それは要領が悪い

 要領の悪さは2種類存在します。1つ目は速度です。単純にそのタスクをこなすスピードが遅いという意味の要領が悪いですね。これはその作業を行うテクニックを知らなかったり、その業務に慣れていなかったりするときに起こります。この作業のテクニックを知ろうとしたり、業務に慣れようとする行為は"努力"だと思います。ただ、ずっとテクニックを習得しようとしなかったり慣れるための行為をしないのは、"要領が悪い"であり"努力"ではありません
 
 2つ目は順序です。どの順番でタスクをこなすことが最も効率的かを考えない、または考える時間を設けないことを指します。このタイプの要領の悪さはよく努力とみられがちですね。業務自体は頑張っているし、テクニック自体もありますから。ただ、『まず、整理しろ』でも書いた通り、目の前にある現状を把握しなければ、どの方法での努力が現段階で一番ゴールに近いのかを判断することができません。

正しい努力をできる状態を整えないままに、ただがむしゃらにやることを努力とは呼ぶことができません。

大切なのは、基準がしっかりあること

 さっきから"正しい努力"という言葉を使っていますが、この"正しい"の基準をお伝えします。
結論、この"正しさ"とはゴールへの最短ルートかどうかという基準です。

 努力をする時、大抵そこにはゴールがつきものです。そして、そのゴールに最短で向かうための方法こそ正しい努力という基準です。

 要領が悪いことをして、それを努力だと思い込んでいるといつまで経っても成果は出てこないと思います。それがいいとか悪いとかじゃなく、単純に損じゃないかなと思います。
よく"急がば回れ"遠回りしろと解釈する人がいますが、僕は間違いだと思っています。一見遠回りに見える道こそ本当の近道である。というのが本来の意味であり、無駄に遠回りをしろという意味ではないと僕は思っています。

どうせ頑張るなら、正しい方法・正しいタイミング・正しい量の努力をして、その頑張りに見合うだけの成果を出しましょう!
その正しいを知るためには、しっかりとした現状分析とゴール設定は必要不可欠なのです。
この作業は一見遠回りに見えるかもしれませんが、実は一番の近道だったりするんです。

最後に

 いかがだったでしょうか、「頑張る」。
自分も頑張っているのに成果が出なかったり、どうも上手くいかない時は勝手に努力している気になっている時なので、気をつけないといけないなと思っています。

みなさんもどうせ頑張るなら正しい努力を!ぜひ一緒に挑戦しましょう!

それではまた。

takuho

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