忘れられない3月のお話
久しぶりに書きます。
3月になりだいぶ暖かい日が増えてきました。窓を開けて空気の入れ替えをしたくなる季節。電気料金の観点から、暖房を使わなくていい喜ばしさも大アリです。
3月は卒業や進級、異動の季節です。そのためどの界隈もなんだかバタバタしています。そして気持ちはソワソワしますね。
イベントの多い月なのに、慌ただしさが勝ってしまいあまり記憶に残らない月。それが3月なのです。
忘れられない3月
僕が覚えている3月の記憶で、一番新しいのは2011年のこと。
もちろん東日本大震災があったのも理由ですが、その年の4月から社会人になる私にとって、人生最後のモラトリアムが2011年の3月でした。
毎日を惜しむように過ごしていこうと決めたはずなのに、蓋を開けてみれば毎日昼過ぎに起きて、2時間くらいボーっとして、夕方からフラフラ外出して、終電付近で帰ってくる。そして明け方までゲームや電話をして・・・・みたい生活を続ける始末。
その癖毎日カレンダーを見ては、「あと16日」、「あと15日」と来る【執行】の日までをカウントダウンしていました。
2011年3月31日
当時住んでいたアパートのベランダ。洗濯ばさみが疎らになった物干しハンガーを片手に眺めた景色が3月最後の記憶です。
よく晴れた日でした。埃っぽい部屋から外に出て、
「明日から社会人だなぁ、もうこんなダラダラした日は送れないなぁ。」とぼんやり外を眺めました。
不安と期待と希望と絶望が同居するというかなんというか。
ただ言ってしまえば普遍的な記憶で、大学生なら誰しも1回はこの気持ちになるはずです。なぜこの日を覚えているのか。その理由ははっきりとはわからないのです。
少し理由を考えてみると、その日以降の僕は、「誰かが求める人物像」を追いかけているように思います。
理想の社会人像とは、けして自分が決めたわけではない誰かが求める姿です。勤務先での役職ごとに評価される内容も結局は同じ。
そこに自分らしさを落としこめればいいのですが、そんなこと凡人の僕にできるはずもありません。自分の希望しない己の姿を追い求めることが社会人特有の「ストレス」になります。
社会人になって急に性格や趣味嗜好が変わってしまう友人が多かったのも、きっとこれが理由なのかなと思っています。自分が変わっていくのはやはりストレスがかかります。
ときは経ち、世界の流行り病は、巡り巡って理想の社会人像を少しだけ変えてくれました。
リモートワークの推進や数字的な成果を評価する傾向は、「アンチ定刻主義」の僕にとっては過ごしやすい環境となりました。
以前と比べて時間を自由に使えるので、好きなだけボーっとして、夕方出かけて…好きな時間に帰ってくる…のような日が増えてきました。すきな服を着て、だれにも介入されない時間が増えました。らしさを取り戻したというと大げさですが、それに近いものを感じます。
それと同時に、「こんな楽な環境は次期に送れなくなるなぁ」と思ってしまいます。これはいつかどこかで抱いた気持ちに似ています。
そして、あぁ、なるほどそうかそうか。と。
記憶に残る3月。
それは自分らしい生活ができた3月のことなのだろうと思いました。
人生でこんな3月をあと何回迎えられるでしょう。
増やせたらいいなぁ、ほんと。