takshinada
「国語科なんですね…」
この数年,「はじめまして」でお会いする方も多く,自己紹介させていただくことも増えています。自分で言い忘れているからなのかもしれませんが,だいぶ経ってからよく言われるのが「国語科なんですね…」です。
国語の先生に
国語が好きで(と言うよりは本が大好きで)教育学部の国語科に進学し,卒業してからは研究生やったり非常勤講師やったりしてました。そして都内私立女子校に国語科教員として就職。そこでは当初,大学受験指導を期待して採用されたこともあって「俺の話を聞け,俺のやり方を信じてやれば大学に受かるんだ」といったゴリゴリの一斉講義型の授業を展開していました。
その後,中学を復活させることになっていきなり中学担任に。その当時,学校にパソコンをいうことで貸し出し用のノートブックパソコンを導入してました。結果,たいしたことはやらずに終わったなあ。
30ちょっとで管理職
中学主任になった頃に学校が傾きはじめ,ひょんなことから管理職として副教頭に。この頃のドタバタは別の機会があれば,STEAMと関係なくまとめておきたい。次の年には副校長になって生徒募集を担当することになり,授業からは一切離れてしまいました。それから10数年授業はやっていませんでした。周りが年上ばかりの環境で老けたように見せたくて髭伸ばしたり丸刈りにしたりと迷走していた時期でもあります。柄悪かったな…今もだけど。
iPad!
それからは共学化もあって学校も持ち直して落ち着き,たまたま1年だけ授業を担当。ちょうどその年がiPadが世に出た年でした。当然手に入れて,学校のプロジェクタを教室に持ち込んでiPadを板書用に使いはじめました。本当にたまたまのタイミングで授業でiPadを使うことができたのですけれど,ここでの経験によって「学校にiPad入れよう」という気持ちが固まりました。
(導入と活用についてはまたの機会に)
ICT先進校に,そして
当時はまだまだ導入校も多くなく,導入しただけで話題にもなり,頼まなくても取材が来るし,視察も来るしで勝手に「ICT先進校」になりました。かなり調子に乗ってたと今では思います。全然たいしたことしてないのに先進校だと思い込んでいた時期です。
ADE(Apple Distinguished Educator)に,そしてシンガポールの屈辱
2015年にADEに認定されるチャンスを得ました。これまでの取り組みをまとめた動画を作成し,エッセイを投稿,審査の結果,夏に行われるInsitituteへの参加資格を受け取りました。
シンガポールで行われたInstituteは人生の大きな転換点になりました。これまで国内で先進校だと言われていい気になっていた自分は初日で打ちのめされました。国内だけでも遥かに進んでいる学校や先生はいるし,世界の中ではもっともっと進化している学校や先生がいることを思い知らされました。ただ,もうダメだではなくて,来年は「なかなか日本の学校もやるじゃないか」と思われるようにやってやろうという気持ちになって帰国しました。
頑張ってはみたものの
帰国して頑張り続けて良いこともありました。近畿大学附属高等学校に続いて,e-learning Awardで文部科学大臣賞の受賞。ようやく国内でも真にICT導入校として認められたかなと少し安心した記憶があります。
一方で,共学私学の激戦区にあり,進学実績が問われる学校の方向性と次世代型の教育を進めたい私の考える方向性には開きがありました。(この辺りの葛藤についてはまだ書ける気がしません。)結果として2016年8月で辞職しました。
STEAM
新たな仕事先探しが半年ほど続き,2017年4月から現在の聖徳学園で学校改革本部長・Executive ICT Directorとして勤めはじめました。そこで開発を始めたのがSTEAM教育です。10数年ぶりに授業を担当,しかも専門の国語ではなくて情報で今までにない授業を開発するというのは,かなり無茶な気もしていますが毎日楽しみつつ苦しみつつ格闘しています。
で,結局何やってんの?
STEAMに取り組み始めて3年目。幸いなことにいろいろなところで取り組みについてお話をさせていただく機会も増えてきました。が,ICT導入や活用の話を求められることが多く,実はSTEAMについて「こんなこと考えてやってます」「こんなことやってみました」「これは結構うまくいきました,あれは大失敗でした」といったお話をすることはまだまだ多くはありません。(無理やり喋ってますけど。)
なので,「で,STEAMって何?」(私もよくわかってないけども)「で,結局何やってんの?」(失敗ばかりだけども)をどこかでまとめておきたいなと思ってnote始めてみました。
さて,ここまででほぼ2,000字,原稿用紙5枚です。ぼちぼち進めて参ります。