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玉手場所

スーパーボールが暴走したのだ。
未舗装の坂をぽんぽんとんとん跳ね下り、どこかへ消えてしまった。

温泉町の外れに住んでいた。
ぼくの家の周りには、芸者さんの住んでいるアパートが点在していた。

一緒に遊んでいた友達ふたりとボールを探し回った挙句、どうやらそんなアパートのひとつに闖入したらしいことがわかった。
しかも、玄関の硝子戸をぶち割って。
それがわかると、ふたりは逃げ去ってしまった。
取り残されたぼくは、しばし迷ったが、意を決して謝りに行くことにした。

呼び鈴を鳴らすと、髪がぼさぼさで、だらしない格好のおばさんが出てきた。
眠そうにも見えた。

「すみません、ぼくのボールが…ごめんなさい」

一旦奥に消えるとおばさんは、ぼくのものに間違いなさそうな、スーパーボールを持ってきた。

「いいよ、いいよ、正直に名乗り出たんだから」

見かけはちょっと怖いけど、声はやさしかった。

「はい、ボール。
今度は、気を付けて遊んでね」

ボールは取り戻したし、叱られもしなかった。
やれやれと思ったが、その後数日間は不安でならなかった。
以前、ピンポンダッシュで、親に大目玉を食ったことがあったからだ。

ターゲットは広い広い庭のある大邸宅だった。
呼鈴を押してから主が出てくるまで、十分すぎるほどの時間があったので、つい図に乗ってしまった。
どうせばれないだろうと思って、何度も繰り返したら、数日後に主が、ぼくの家に怒鳴り込んできたのだ。

今回は1週間ほど経っても、ぼくの家にはなんの苦情も来なかったので、近づくのを避けていた事件現場の方まで、様子を見に行った。
すると向こうから、日本髪の着飾った芸者さんがやって来る。
おしろいで真っ白だから、美人のようにも化け物のようにも見える。

「あらあ、こんにちは」

不意に声を掛ける芸者さん。
ぼくは、けれども、心当たりがない。
知らない人だ。

「わからないかしら?
ほら、こないだ、ガラス割ったでしょ?」

あっ、あのおばさんだったのか。
言われても、しかし、どうしてもふたりの女性が結び付かない。
ぼうっと見ていたら、ポケットからボールが零れ落ちた。
あのスーパーボールだ。
ぽんぽんぽんぽん…
足元で弾む。

「じゃあね、仕事だから」

芸者さんは遠ざかる。

スーパーボールは相変わらず、ぼくの傍らで弾んでいる。
ぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽん…

目の前には影がある。
ぼくの影だ。
長い長い影だ。

背後に何かの気配を感じて振り返ると、後ろにも影がある。
長い長い影だ。

いつの間にか両脇にも影がある。
長い長い影だ。

影たちが回り始める。
ぐるぐるぼくの周りを回る回る回る回る…

ぼくは動けなくなる…

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