見出し画像

メメントモモ

昼のラジオが竹内まりあさんの「不思議なピーチパイ」を歌っている。
竹内さんの曲の中では一番好きな曲だ。

耳を澄ましているうちに、歌い手の顔が目の前に浮かんできた。
それは竹内まりあさんではない。
篠塚先輩だった。

新卒で僕が入社したのは、アミューズメント業界の企業だった。
配属されたのは、各種のイベントを縁の下で支える部門。
人手が足りないらしくて、最初から頭数の一人として、新人には荷の思い業務を任された。

よく一緒にどさ回りしていた相棒の巨大な宇宙船は、ちょくちょくトラブルに見舞われた。
小型バスくらいは人が乗れる宇宙ロケットだ。
僕は乗客から見えない操縦席で操作する。

前部が上下したり、機体全体が左右に回転したり、座席が揺れたり、動きそのものは単純だ。
前面のスクリーンには、船外の宇宙空間が映し出される。
文系新卒の僕にも簡単に操作できるくらい、素朴なアトラクションではあったが、ひとたび具合が悪くなるとやはり、手に負えなかった。
営業を休止して、上司や先輩に助けを乞うしかなかった。

そんな時、一番頼りになったのが篠塚先輩だった。
ヘルプコールすると、誰よりも早く駆けつけて、素早く対応してくれた。
小柄だが筋肉質で、明るくて、きびきびした体育会系の好青年だった。
童顔だったが、今思うと顔は、中居正広さんに似ていたような気もする。
その篠塚先輩が作業中によく、ラジカセで聴いていたのが、「不思議なピーチパイ」だったのだ。

それは、北陸地方の郊外のある催事場で、産業博覧会のあった時だった。
僕はまた、相棒の宇宙船を引き連れて、市街地からバスで1時間近くかかる、丘の上の会場に来ていた。
例によって、独りだった。

マナーの悪いお客さんに苦労したり、お客さんの様々な苦情に対応したり、お客さんの波の極端な変化に振り回されたり、集めた料金の計算に汲々としたりで、ただでさえいっぱいいっぱいで、生きた心地のしないところへもってきて、またしても宇宙船がご機嫌を損ねてしまった。
パニック状態になって、すぐさまSOSを発したが、今回は頼みの篠塚先輩も、かなり遠方にいるらしい。
駆けつけてくれるまで、時間がかかりそうだった。
仕方がないので、汗を掻き掻き、できもしない修理の真似事をしてごまかしていた。

数時間後にやってきた篠塚先輩は、後光をまとっているようにしか見えなかった。
今回の不具合は単純ではなく、結構重篤な症状だった。
篠塚先輩はいつものように、「不思議なピーチパイ」をラジカセに歌わせて、黙々と作業に勤しんでいた。
手持無沙汰の僕は、半分はお義理で尋ねてみた。

「竹内まりあさん、お好きなんですか?」

「ああ、大好きだよ。
特にこの曲がね」

「そういえば、この曲ばかり聴いてますよね」

「まあね、思い出の曲だから。
高校時代、この曲にすっかりやられちゃってさあ、初めて彼女のライブに行ったんだよ。
それで本気で惚れちゃった。
バカだと思うかもしれないけど、もう本気で結婚したいと思っちゃってね。
それを励みに生きてたくらいでさ」

宇宙船から少し離れたところには、白いドームが見えた。
近くを通ると、「RIDE ON TIME」を中心に、山下達郎さんの曲が聞こえてくる。
日々余裕といえるような時間は皆無に等しかったが、同僚の一人が手伝いに来てくれた折に、中を覗いたことがある。
中はドームシアターで、3Dアトラクションをやっていた。
たまたま僕が覗いた時には、山下達郎さんのMVみたいなものが上映されていて、「RIDE ON TIME」のほかいくつかのMVを視聴することができた。
篠塚先輩がやって来た日も、繰り返し「RIDE ON TIME」が聞こえてきた。

多忙な篠塚先輩は、やるべきことをやってしまうと、無事復活した宇宙船ではなく、バスに乗って帰っていった。
去る前に、ぼそりと言った。

「山下達郎さんに彼女を持ってかれちゃった時は、死にたくなったよ、俺…」

それから一年もしないうちに、篠塚先輩は結婚した。
本人によるとお相手は、

「竹内まりあそっくりのかわいい子だよ」

ということだった。

先輩のおめでたから半年もしないうちに、僕はその会社を去ることになった。
セクハラまがいの事件が原因で、同期のTさんが退職したのが引き金となった。
Tさんが去ったから後を追って…ということではない。
彼女とは友達以上恋人未満ではあったが、彼女を守れなかった自分に嫌気がさしたことが最大の理由だった。

そういえば、新入社員の歓迎会で彼女が歌ったのも、「不思議なピーチパイ」だったのを思い出す。

「顔は似ていないけれども、声が似ていると言われるんです」

と自慢していたっけ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?