女王水
リケジョと言うのだろうか。
国語をはじめ、文系科目は苦手なようだったが、理系科目は得意だった。
得意であるばかりではなく、特に数学などは、クラスでも学年でもトップクラスだった。
見た目はアイドル系。
小柄で、リスみたいな顔をしている。
そんなギャップも面白くて、栗山くるるさんとは結構、仲が良かった。
高校時代の話だ。
彼女は国立大学の数学科に進んだ。
高校の卒業式を最後に、その後彼女には会っていなかった。
それから十年以上経っていた。
地元の川に、アザラシが現れた。
よく出没するという噂の橋の上で、1時間近く待ったけれども、出会えなかった。
その代わり、十数年ぶりで、栗山くるるさんに再会した。
アザラシに遇うよりも、嬉しかったかもしれない。
彼女もアザラシに誘われた野次馬のひとりだった。
見た感じは、高校時代とほとんどかわっていない。
相手の話さないことをあれこれ突っ込んで訊くのは好きではないので、彼女が勝手に話すことだけに耳を傾けた。
どうやら独身らしい。
何やら色々、僕には理解の及ばないことをやって、生活の糧としているとのことだった。
その日は橋の上で別れたが、日を改めて、彼女のマンションを訪ねることになった。
相変わらずキュートだが、相変わらずエロくはない。
変な下心もなく、教えられたマンションを訪ねた。
2DKのマンションの一室は、研究室のようでも、テーマパークのようでもあった。
ビーカーやフラスコや試験管など、お馴染みの実験器具のほかに、何やらわけのわからない機械や小道具が、所狭しと並んでいる。
そんな部屋の中で、ひと際目を引いたのは、直径20センチくらいの透明の球体だった。
部屋の中心でもあるかのように、静かに浮かんでいるのだ。
制止しているようにも、揺れ動いているようにも、呼吸しているようにも、回っているようにも見えた。
「これは…?」
「女王水なの」
「じょうおうすい?」
「王水は知ってるでしょう?
王様の水…」
「うん、確か、金でも溶かしてしまうとかいう…」
「そう、濃塩酸と濃硝酸を混合して作る液体で、厳密に言うと、全ての金属ではないけれども、金や白金は溶かすことができるやつ。
これはね、すべての金属どころか、すべての固体を溶かしてしまう液体なの。
だから、女王水って勝手に呼んでる」
「なんでもってことは、人間なんか一溜まりもないよね?」
「もちろんよ。
だから、ある方法で、こうやって宙に浮かせてるってわけ」
「これ、くるるさんが作ったの?」
「そうよ。
ただ、全てのものを溶かせるとは思ってるんだけれども、検証が終わってないのよね」
「そんな検証なんて、無理なんじゃないかなあ。
全てってどこまでか、わかりっこないし…」
「うん、もしかしたらね」
「とにかくさあ、そんな恐ろしいものは、そばに置いとかない方がいいと思うよ。
万一触ったりしたら大変じゃない」
「そうなのよ、恐ろしいっていえば恐ろしいんだけれども、だからこそやめられないのよね。
惹き付けられるんだなあ。
見つめていると吸い込まれそうになって…時には本当に中に入りたくなっちゃうの」
「怖いこと言わないでよ」
「わたし、自分でも怖いんだよね…あっ、そうだ、万一わたしの身に何かあったら、あなたにショートメールが届くようにしようかな。
構わない?」
「うん、いいよ…僕にお役に立てることがあるとしたら、そのくらいだろうから」
それが栗山くるるさんに会った最後だった。
一カ月もしないうちに彼女から、ショートメールが届いたのだ。
『恐れていたことが起こりました。下記の指示に従って私の部屋のドアを開けて中に入ってください。そこで何をなすべきかは、来ていただければわかります。では、よろしくお願いします』
以下には、鍵を開けるための細かい指示が明記してあった。
僕は行くべきだろうか。
迷っているが多分、行ってしまうだろう。