平成東京浪漫痴歌
饐えた都会の片隅で、名だけはコーポのアパートに、
猫の女と佗び住まい。
隣は何をする人ぞ、小太り親父の単身赴任。
引越しのご挨拶だと、亀屋万年堂の菓子折り持参。
そのとき顔を見たきりで、半年ほどでそそくさと、
追われるように出て行った。
サムターン回しの、被害に遭ったからという。
その後はなかなか借り手も付かず、
鼠かゴキか夜もすがら、軋る秘め事壁伝い。
慣れた頃には、謎の一家が住んでいた。
人の気配は感じるが、表札もなくひっそり閑。
「ああ、502号室ね。
なんか、新興宗教みたいなもんらしいよ」
下の階の噂好きおばさん、お節介にも教えてくれた。
ある日502号室の前で、1枚の紙切れを拾った。
排泄はカタルシスなり
万国の人民よ 脱糞放尿せよ
脱糞放尿教教主 須賀登呂児
その日は一晩がたがたと、物音が絶えなかった。
夜逃げである。
すぐさまリフォーム業者が入り、数日後には荷物も入り、
その日の夜に、我が家の壊れかけた呼び鈴が、
隠微なしわがれ声を響かせた。
ドアの前に立っていたのは、
長髪を束髪にしたロック兄ちゃん風情の男。
駅前のおしゃれなケーキ屋トムキャットの、
ブランデーケーキ携えて、引越しのご挨拶だった。
「かりやざきしょうごと申します」
「えっ、あの有名なお花の人と同姓同名ですか?」
「いえ、残念ながら、字が違います。
あとで名刺をポストにでも、お入れしておきますよ」
見かけによらず丁寧な青年、言ったとおり郵便受けに名刺一枚、
見れば縦書きのオーソドックスなもの。
肩書きなしで、ここの新住所添えて、刈谷崎正吾とあった。
ある日の夕方1階の郵便受けを見に行こうとすると
不意に502号室のドアが開き
香水ぷんぷん、派手なお水風の姐さんが飛び出してきた。
どう反応したらよいかわからず、とりあえず会釈。
恋人か、まさか商売女じゃあるまいな。
「あら、おはようございます」
野太い声は男声。
よく見れば、刈谷崎正吾そのひとだった。
夜の新宿、花です蝶です、これからお勤めゲイ達者。
なんだ、そういうわけだったのか。
饐えた都会の片隅で、名だけはコーポのアパートから、
猫の女が出て行った。
たぶん二度とは帰るまい。
日が落ちる頃俺は二人で、仕事に向かう。
隣の刈谷崎正吾と、新宿の店初出勤というわけで。
※平成の終わりごろに書いた文章です。素材はほとんど実話。雑多な実話をミキサーにかけてぎゅっと絞ったらこんな作品になりました。
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