お百度参り
信心深い方ではないのだが、時には神頼みもしたくなる。
にっちもさちも行かなくなって、藁にも縋る思いで神頼みする。
思いつく限りのことをやってはみたけれども、糸口が見えなくて、天命を待ちながら神頼みする。
今はそのどちらなのか、よくわからないのだが、とにかくまさにその真っ只中なのだ。
池の壺神社は、地元の小さな神社だ。
霊験あらたかなパワースポットで、全国から参拝客が押し寄せる…なんてことは全くない。
けれども、地元にやさしい神社として、住民たちには愛されていた。
地元の人たちのささやかな願いに対しては、応えて下さることが少なくなかったからだ。
拝殿で二礼二拍手一礼し、引き返そうとすると、小柄だけれども、いかつい男が順番を待っていた。
坊主頭で、四角い顔をした、こわもての男だったが、態度は柔らかかった。
僕が拝殿の階段を降りると、道を開けて目礼する。
そのまま立ち去るつもりだったのだが、なぜかこの男が気になった。
境内の脇の方にある力石の傍らで、スマホを見る振りをしながら、様子を窺う。
拝殿の参拝を終えると男は、入口の鳥居まで戻ったが、そこから外へは出なかった。
向きを変えて、ふたつある小さな境内社も、順にお参りしたのだ。
そしてまた、拝殿に戻る。
このサイクルを繰り返す。
何度も何度も繰り返す。
そうか、お百度参りだったのだ。
よほど深刻な問題を抱えているのだろう。
あの顔で、どんな悩みを抱えているのか、尋ねてみたい気もしたが、そんな不躾なことは、僕にはとてもできない。
かといって、まさか彼が自ら、世間話の風情で悩みを明かしてくれるとも思えなかった。
ところが、その「まさか」が実際に起こったのだ。
「熱心に何を願掛けしてるんだろう…なんて思っちゃいませんか?」
いかつい顔を笑顔に替えた男が近づいて来て、突然言った。
「い、いえ…まあ、半分は当たってるかもしれませんけど…」
「いいんです。
こちらから申し上げちゃいましょう。
色恋沙汰ですよ。
この顔で、惚れた腫れたですからね、笑ってやってください。
けど、真剣でしてね」
「詮索はしません。
とにかく、その思いが成就することを心から祈ってます」
なんだかばつが悪くなって僕は、そう言い置くとその場から立ち去った。
池の壺神社の境内を出て、鳥居の前で一礼した時だった。
妙なことに気が付いた。
境内にいる時には全く意識しなかったのだが、鳥居の外から見ると、はっきりわかった。
狛犬の片方が消えていたのだ。
向かって右側の玉取り、阿形の狛犬だった。
修理中だとか、何かわけがあるのだろうとは思ったが、その時には深く追及もせずに、そのまま立ち去ってしまった。
数日後、僕の神頼みには、まだ成果が見られなかったので、改めて池の壺神社にお参りすることにした。
狛犬の件もやはり気になっていたので、早く確認したかった。
池の壺神社には、人の影は無かった。
阿形の狛犬も、相変わらず消えたままだった。
それだけではない。
左側の子取り、吽形の狛犬も、きれいさっぱり消えていたのだ。
ふたつの台座だけが残っていた。
その時になって僕は、はっと気が付いた。
お百度参りの男は、どことなく狛犬に似ていなかったろうか。
脳内で男の面影の解像度が高まるほど、そんな気持ちが確信に近づくのを感じた。